救えぬ命
8月1日、月曜日 と 8月2日、火曜日。
8月1日早朝、出勤。相変わらず日本は蒸し暑い。
朝から定期手術をこなす。すると昼過ぎになり近くの病院から緊急手術が必要な患者の手術依頼がありそれを受ける。
到着。
既にショック状態で極めて危険な状況。
しかし、補液を行い手術が出来る状態に持って行き、なんとか夕方から緊急手術となった。
我々、日本人消化器外科医。
”救えぬ命など無い!!!” と世界中に向けて豪語したいときがある。
しかし、今の高度に発達した日本の外科医療でさえも救えるがどうか確信が持てぬ病気がある。
当然、交通事故などによるひどい腹部外傷は救えぬ事がある。
でも、”病気”で救えぬ事は無い・・・、わけではない・・・。
あらゆる癌、虫垂炎、胆嚢炎、消化管穿孔による汎発性腹膜炎。
まかせてくれ。絶対に救ってみせる。だって我々は世界最高の外科医集団。
でも、そうは言えない”ある病気”がある・・・。
この緊急手術がそうだった。
やるべき手術はしたが、予断は許さない。
手術を終えて、患者はICUでの全身管理となった。
我々外科医と麻酔科医、ICUの看護師達の総力を挙げての治療。
術後、意外にも血圧は安定。
こんな時、帰宅し、ゆっくりと休む事が出来る豪気な外科医もいる。
でも、私はそうではない。家に帰ったとしても目が冴えまくって一睡も出来ずに朝を迎えてしまう事はこれまでの長年の経験で分かっていた。だから病院の仮眠室に泊まった・・・。
もしも、私がこんな状況でも熟睡出来る神経の持ち主だったら・・・。
深夜になり、妻に電話した。
”今日はもう帰らないから。病院に泊まるよ。”
結局、我々の全力を挙げた治療のかい無く未明にその方は亡くなった・・・。
この病気はどんなに治療を行っても半数以上の人が死んでしまう病気。
そう、この病気の致死率にはいろいろな報告がありなんと60-90%である。
正直に言おう。私自身はこれまで全例を救命して来た。
今更ながら思った。私はただこれまで運がよかっただけかもしれない・・・。
それでも、私が診断治療すれば致死率は10%以下なわけで胸を張るべき治療成績なんだろうけど・・・。と、統計学的に計算して自分を慰めるしかなかった・・・。
”やるべき事はやったんだ!”と思う気持ちと、”それでも救命出来なかったんだろうがよ!なんなんだよ俺って!!!”と言う気持ちが私の心の中で渦を巻き、Chaosとなっていった。
そして8月2日の太陽が昇った。
ほとんど一睡もせず、いつも通りの定期手術をこなす。
そして、夕方から緊急手術が入った・・・。
同じ外科医の先輩から私の院内PHSに電話がかかって来た。
”今から緊急手術やな。ほんま、お疲れさん。おまえ、昨日家に帰ってないんやろ。ほんまにな、お疲れさん。ありがとう。”
自分でも不思議なんだけど、先輩からこうしてねぎらいの言葉を掛けてもらうと、もやもやしていた気持ちがすっきりと晴れ渡って来た。
そして、緊急手術を終えて帰宅。
今こうして自宅でブログを書いている。
目の前には娘達の置き手紙・・・・・。
”あさがおに毎日、水をあげてください”
”スカイプしようね”
”ビールは2本までね”
なんだよそれ・・・・・。
そう、今日、妻と三姉妹が妻の実家に帰省したのだった・・・。
当初の予定では8月1日の晩に全員そろって晩ご飯を楽しみ、8月2日からの帰省生活を迎えるはずだったのだが、結論としては妻や娘達は私に会える事無く、実家に帰ってしまった・・・。
そんなもんだよな、日本の外科医ってのは。
でも、私の心は熱く燃えている。
ただ・・・、娘よ・・・・・、 ”でんきでね!!!” ってなんなんだよ!!!
それを言うなら ”げんきでね!!!” だろうが!!!
俺の体には電気が流れているんじゃない!!!、熱い血が流れているんだぞ!!!
でもね、妻よ娘達よ。私の事を気遣ってくれてありがとう。そして、夜間の診療に協力してくれた同僚の外科医、麻酔科医、手術場、ICUの看護師諸君ありがとう!!!
We are the best in the world!!!!!!!
さて、今夜はゆっくりと休もう。緊急の呼び出しが無ければね・・・・・。