移植

 1月24日(日曜日)、ミネソタ

 朝6時に起床し車のエンジンをかける。日はまだ昇らず、雨が降っている。そして霧が立ち込めていて視界不良。

 車の窓を拭いてから出発した。200メートル先ぐらいまでしか見えないような濃霧だった。

 慎重に車を運転し、職場の駐車場へと車を入れた。すでに同僚たちの車が何台かとまっていた。

 雨が軽く降る中、職場まで歩き、入り口のセキュリティーを通過して建物の中へと入る。同僚が二人すでに到着していた。

 みなと一緒に仕事をはじめる。

 移植用の組織を調整し移植できる状態に持っていく。そして移植しても良いかどうかを判断するための検査をいくつかする。

 この検査は別の部署のスタッフがしてくれるので、その間はのんびりと過ごす。緊張した気持ちをやわらげる必要がある。

 同僚のひとりはiphoneでゲームをしていた。

 私は彼らの検査の手技やその顕微鏡像を見たかったので地下へと降り彼らと話をしながら手技を見ていた。

 ”とっても簡単よ、ただ混ぜるだけだから”、 ”ああ、知っているよ。俺も日本ではいつも自分でしていたから” なんて会話をしながら検査が進むのをみていた。

 そして検査が問題なく終了し、移植用の組織は準備された。

 今日の仕事は非常に良好な治療結果が期待できるすばらしいものだった。

 日本では未だに再開されていない。アメリカでは非常に一般的で日常的に行っている。そして間違いなくこの治療によって救われている人たちがいる。早く、日本でも再開されることを祈る。

 しかし、再開されたとしてもアメリカのように頻繁に脳死ドナーから状態の良い臓器が手に入るようにはならないだろう。日本での移植医療は結局のところ生体ドナーからの臓器移植がおもなもので、脳死ドナーが一般的になることははるか先の未来か、もしくは日本が他国の国民にのっとられたときにしかありえないのではないかと思う。

 以前、日本での移植の現状をアメリカ人中堅外科医に聞かれたことがある。脳死ドナーの件数は非常に少なく、生体ドナー(生きている人から臓器の一部の提供を受けて移植すること)が多いと説明すると、非常に怪訝な顔をして”それは非常にpainfulだね” と言われた。

 やはり、宗教観、死生観が大きく彼らとは異なっているように思う。私たち日本人にとっては脳死であれ心臓が動き、そして体が温かい人を死んでいるとみなして体を切ることは非常に抵抗がある。外科医の私でさえもそう思う。そして家族、肉親のためなら臓器を提供したいと思う。これが、日本人。

 ただし、アメリカでも生体ドナーも盛んに行われている。まったく血縁関係のない第3者間での移植も一般的に行われている。ここらへんも日本とは大きく異なっている。

 時々、日本では移植を受けることが出来ないため多額の寄付金(数千万から億)を募り渡米して移植医療を受けようとしている日本人がいる。小さなお子さんに心臓移植を受けさせてあげたい等、さまざまな事情で日本では移植が行われておらず渡米して移植を受けるしか道がない場合、やはり親御さんとしては何とかしてあげたい気持ちは十分分かる。

 昨年2009年7月13日に臓器移植法A案修正案が参院本会議で賛成多数で可決された。


 これは2009年7月17日に公布されその1年後に施行される。今年の7月に施行されるのだ。

 A案修正案の一部を引用

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臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案
臓器の移植に関する法律(平成九年法律第百四号)の一部を次のように改正する。
第六条第一項を次のように改める。

 医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器
を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面
により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を
拒まないとき又は遺族がないとき。

二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面
により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合で
あって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

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 そして改正の理由がこちら

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理 由
死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表
示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族
が当該臓器の摘出について書面により承諾しているときに、医師は、当該臓器を移植術
に使用するために死体から摘出することができることとするとともに、移植術に使用さ
れるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しよ
うとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思
を書面により表示することができることとし、あわせて国及び地方公共団体は、移植医
療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずる等の必要がある。これが、この法
律案を提出する理由である。
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 この新しい臓器移植法、実際にどのような効果をもたらすのだろう。



 私に言えることは以下のことである。

 移植でしか治せない病気、救えない命が現在でもある。そして移植以外の治療法を見つけるための研究は各方面で盛んに行われているものの、移植と同等もしくは移植を超えるような治療法はまだまだ現実的な物は開発されていない。

 特に肝臓は人間にとってなくてはならない臓器であり、その機能は多様であり、それを人工的にまねすることは現段階では不可能である。そして盛んに研究が行われているが、まだまだ臓器移植にかなうような治療法は皆無である。

 心臓もかなり高性能な人工心臓が開発されてはいるがそれでも本物の心臓にはかなわない。

 移植医療を批判する人たちの気持ちは分からないでもない。しかし、その論調はどこか現実をちゃんと見つめておらず、夢を見てしゃべっているかのような論調が多いように思う。

 日本が国として脳死移植を勧めていこうとしている姿勢は決して間違ってはいない。私はそう思う。