移植と募金

 10月11日、ミネソタ晴れ

 今日も、街行く若者はTシャツ、短パン。

 今朝、日本のニュースを読んでいたら、以下の記事を目にした。

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拡張型心筋症のため、米国での心臓移植を目指しながら死亡した岡山県倉敷市の小比賀姫那ちゃん(1)の支援組織「きなちゃんを救う会」は11日、集めた募金のうち約7500万円を岡山大学病院に寄付した
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 この渡米して移植をするために募金を募るという行為を日本で行っていることは知っているが、私の地元での話だったので、いつも以上に考えさせられた。

 日本における移植医療は数でこそアメリカにははるかに劣っているが、その内容では決して劣ってはいない。むしろ、生体ドナーなどの分野では日本の技術は世界的に評価されている。

 しかし、なにせ脳死ドナーがとっても少ない。新生児、小児のドナーは皆無に等しい。

 一方アメリカ、例えば私の職場、毎日のように脳死ドナーの臓器提供のオファーの連絡が入る。週末なんか、一晩で3件オファーがあって、そのすべてが施設の基準に適合してないため断ったりしたこともある。例えば、心停止の時間が長すぎるとか、HIV陽性だとか、腎機能が悪すぎるとかの理由で。

 さらに、アメリカの医療機関のほとんどが、自国民のみならず、外国人の患者(レシピエント)も受け入れている。ただし、すべて実費になる場合がほとんどなので、とんでもなく高額のお金が必要となる。

 ここで、確認しておきたいのだけれど、アメリカの医療費(病院、医師などが患者、保険会社に請求する額)は日本の約10倍である。

 なんで10倍なんて額になりうるのかと言うと、アメリカの医療関係者の報酬、たとえば外科医の報酬は日本の医者の報酬の3から5倍。勤務時間あたりで計算したら、たぶん10倍ぐらいになるだろう。それが高額な理由のひとつ。

 これが、資本主義国家アメリカの医療の現状。

 日本だと、不採算にもかかわらず救急部門や小児科部門を維持して病院が多額の赤字を抱えるなんてことが起きるけれど、資本主義国家アメリカでは不採算にならないだけの十分な額を患者や保険会社に請求するだけ。それが高額である理由の二つ目。

 アメリカで医療を受けていると分かるのだけれど、報酬は病院・医師が決める。日本のようにお国が決めるわけではない。次に、保険会社が決める。以前、歯科クリニックで歯科治療費の自己負担分を200ドルほど払ったことがあった。残りの治療費はクリニックが保険会社に請求したのだけれど、保険会社はその全額の支払いを拒否し、8割程度の金額しか払わなかった。するとどうなるかと言うと、私が払った200ドルは高すぎたという話になり、歯科クリニックが40ドルの小切手を私に郵送してきたのだった。なんだかよく分からない話だが、保険会社は治療費を決める力を持っているということになる。


 アメリカ大統領のオバマ氏が、今、中小企業にも従業員に保険を提供するようにと法律を作ったが、これが実現すると、中小企業の負担は当然増えるし、保険会社も安めの保険を提供する必要がある。そうなると、アメリカの医師にとっては良い話ではない。なぜかと言うと、保険会社にいつもどおりの額の報酬を請求しても、そんなには払えないと断られる可能性があるからだ。これは実際どうなるかは今のところ不明ではある。

 ひとつ断言してもいい事は、”アメリカの医療費は高すぎる。そして、日本の医療費は少なすぎる”


 すこし話がずれたが、以前同僚から言われたことをひとつ。

 ”カリフォルニアの病院で、日本のマフィアのボスが金の力を使って待機者リストを無視させて肝臓移植を受けたらしいじゃないか。どう思う?”

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 その時、そんな話は聞いたことがなかったので少し調べてみたが、数年前に起きた事実だった。

 その件の詳細はここには書かないが、移植のために渡米してくる日本人に少なからぬ不快感をアメリカ国民に抱かせた事件であることは確かだった。


 さて、話を元に戻そう。

 今回の募金、そして寄付の件。私は賛否を述べる立場にもなく、こうせよという提案もない。

 ただ、同じような年の娘を持つただの父親として考えてみると、なんとかしてこのかわいい笑顔をいつまでも見ていたい、その為なら・・・・、と思うかもしれないし、これがこの子の運命だと覚悟し、渡米してアメリカ人の臓器を手に入れようとはしないかもしれない。これは私には分からない。

 日本は中国や北朝鮮とは違い、自由がある。この件に関しても、各自が自分に正直に判断すればよいとしか、私には言えない。


 遺族の同意があれば臓器提供が出来るようになった日本の移植法。

 そうしたら、臓器提供を拒否する人が増加してしまった日本。

 こんな状況なので、脳死ドナーを増やすための運動が日本において正しいことなのかさえ私には分からなくなってしまっている。

 そんな今、私がするべきことは、移植の成績を向上させるための研究を鋭意行っていくことだろう。

 それしかないように思う。