技術の進歩か、衰退か

 2月29日、雨のち晴れ

 なんだか春っぽい。

 外気温も10℃近い。

 雨が軽く降る中、ロードバイクで走る。

 この歳で、この職業で、毎日、心拍数を170bpm以上まで引っ張る人はなかなかいないだろうな。

 ジテ通を始めて2ヶ月がたつ。

 それまでパンツに少しではあるがお腹が乗ってしまっていたが、今はそれも無くなった。

 そう、皮下脂肪が極端に薄くなって来た!!! そして、筋肉が太く、しなやかになって来た!!!

 ふ、ふ、ふ。

 ええ感じ。

 空手道部時代の鍛え抜かれた肉体を取り戻しつつある。

 自転車ってのは、いつの時代もアナログな乗り物であり、人力が物を言う。

 素敵な乗り物です。



 さて、表題の件。

 約1年前に帰国して、再び外科医として働くようになって非常に驚いたことがある。

 それはEnergy deviceとよばれる類いの手術道具を外科医達が”開腹手術”で多用しているという事。

 我々が使用するEnergy deviceには以下のような物がある。






 外科医じゃない方には全く興味のない商品だろうが、我々にとっては非常に面白い物ばかりである。


 私が医者になった頃。

 目の前にある”血管”を切る場合、切りたい場所の左右2カ所を糸で縛ってからハサミで切っていた。

 なぜ、糸で縛るか?

 だって、糸でくくらずに血管を切ったら血が出るでしょ・・・。

 ちなみに糸で縛る事を、”結紮” と言います。

 昔の手術は、結紮 結紮 切離。

 この3回の手順の繰り返しでした。

 そして、いかに早く糸をくくるか。

 これが助手をする外科医の腕の見せ所でした。

 電光石火の結紮。

 目にも留まらぬほどの早さで糸をくくる訳です。

 私が研修医だった頃、一瞬でも結紮に手間取ったら・・・。

 大先輩から ”手を下ろせ!!! 手術室から出て行け!!! いったい、いつになったらまともに結紮が出来るようになるんだお前は!!!” と外科医になってから半年も経っていないのに叱責されるのでした。

 助手をしている頃から、術野を凝視して先輩達の手術手技に注意を払います。

 ここはハサミで切っても良い。

 ここはハサミでは血が出るから、電気メスで切らないといけない。

 ここは電気メスで切っても血が出るから、結紮してから切らないといけない。

 教科書や解剖学の本には載っていないような細い血管があるってことを学ぶ訳です。

 でもね、Energy deviceだったら、そんな知識や経験なんか無くてもとりあえず使って切れば血が出ないんです・・・。


 そして、皆さんもご存知の”腹腔鏡手術”

 私が外科医になった頃、胆嚢を腹腔鏡下手術で切除する、腹腔鏡下胆嚢摘出術は非常に普及した一般的な手術でしたが、胃や大腸を腹腔鏡下手術で切除するのはまだまだ一般的ではなく、黎明期にありました。

 そう、10年以上前の話です。

 当時はenergy deviceの良いのもなく、非常に時間と手間がかかる手術でした。

 そんな黎明期の腹腔鏡下手術を経験し、ついにenergy deviceを使う時代になったのです。

 energy device。

 様々な種類がありますが、その目的は一つです。

 組織や血管を結紮する事なく出血する事なく切る。

 それがその役目です。

 切りたい血管をenergy deviceの先端ではさんでフットスイッチを踏むと血管がシーリングされて切れる。

 素敵でした。

 新しい時代が来た事を純粋に喜んでいました。

 腹腔鏡のモニター越しに映し出された血管をenergy deviceが見事に切っていく。

 そして、腹腔鏡下手術がより安全で楽で短時間な物になったのでした。

 でも、私が渡米するまではこれらのenergy deviceは腹腔鏡下手術に限られた道具であって、通常の開腹手術で使う事は滅多にありませんでした。


 しかし、帰国後目の当たりにしたのは、開腹手術でも多用されているenergy deviceでした。

 助手が血管を結紮する事はほとんどなく、次々とenergy deviceで切っていく。

 これが現代の手術です。

 これまで開腹手術でenergy deviceが多用されていなかったのには理由があります。

 それはenergy deviceはそのほとんどが使い捨ての道具で、再使用出来ないのに非常に高価だったからです。

 腹腔鏡下手術ではenergy deviceを使用したら加算出来たのですが(余分に診療報酬が請求出来た)、開腹手術では加算出来なかったのです。

 しかし、近年、開腹手術でもenergy deviceを使用した場合に加算出来るようになり、使用頻度が増えたのでした。

 それまではお腹の奥の奥の血管を結紮(深部結紮)する為に腕を磨き、日々、努力を続けるのが外科医の生き様でしたが、今はそれも必要ありません。

 energy deviceが体の奥の血管を挟み込んでぴぴぴ!と出血もせずに切ってくれるのです・・・。

 我々おっさん外科医としては非常にありがたい道具です。

 しかし、その結果。

 今の若い外科医は糸が結べません・・・。

 そう、結紮技術が非常に稚拙なのです。

 アメリカ人外科医並みです・・・。

 どうしようもなくへたくそです。

 そして、energy deviceなんて素敵な道具があるので執刀医の我々おっさん達も、へたくそに結紮させるまでもなく、energy deviceを駆使してあっという間に手術を終えるのでした。


 便利って良い事ですか?

 効率って良い事ですか?

 それって堕落の始まりではありませんか?


 energy deviceを多用し、愛していますが、実は憎んでもいます。

 この我々が受け継いで来た、あまりにも美しい日本人外科医の手術とその技能を愚弄していると思っているんです。

 Energy device? We don't need it!!! Don't underestimate our Japanese surgeons!!!

 って絶叫したいんですけど、でもね、便利なんですよ・・・。

 ああ、こうして伝統技能は姿を消していくのですね。

 まあ、このenergy deviceも、我々日本人外科医は他国の外科医よりも遥かにうまく使いこなすんですけどね。

 そう、凄いんです。

 そして、今、同僚の外科医の間ではHarmonic Focusがブームになっている・・・。

 ああ、いよいよ若手が・・・。