術中死

 7月11日、雨

 梅雨。

 しとしとと降る雨。

 これぞ、Japan。


 さて、この仕事。

 外科医。

 最近、辛い状況が続いている。

 高齢、重篤、手術。そして、術後の激しいせん妄(術後の一過性のボケ)。

 そんな患者が続く。


 偶然か、必然か、重篤な高齢者の手術が続く日々。

 少子高齢化を感じる日々。


 重篤な高齢者の手術。

 極めて危険である。

 十数年前であったら、手術を断っていたであろう患者を片っ端から手術している。

 なぜか?

 この手術を乗り切れたならば、あと数年生き、天寿を全う出来る人が多いからである。

 そう、天寿って何? って思うのだが、本来、その天寿とは神が与えたもうたものであるが、我々医者が造り出すものでさえあるのが現代の医療。


 今日も、緊張感溢れる手術であった。

 いつ心臓が止まってもおかしく無い患者の手術を引き受けた・・・。

 患者が手術室に入室する。

 心電図が患者の心臓の動きを伝える。

 時々、心臓が鼓動をやめる・・・。

 だめか・・・、手術する前に死ぬか・・・。

 心電図を見つめる。

 患者の胸の動き(呼吸状態)を見つめる。

 そして、手を洗い手術を始める。

 そう、いつ心臓が止まってもおかしく無い患者の手術。

 手術中に心臓が止まるかもしれぬ。

 そう、”術中死”

 我々外科医にとって”術中死”は最も忌み嫌うべきもの。

 そう、”手術をしたから死んでしまった” と患者の家族や同僚から強烈な非難を受けてしまうかもしれぬ。助ける為にしたことで患者が死んでしまうかもしれぬ状況。いや、手術が原因で死ぬ訳ではない。偶然、手術中に息絶えただけであるのに・・・。


 当然、患者の家族には ”術中に死ぬかもしれぬから覚悟して欲しい。それでも手術を希望するならば、手術を引き受けます。” と説明し同意を得て手術を行っている。

 しかし、外科医として絶対に ”術中死” は避けねばならぬ。

 そして、おもむろに右手にメスを持ち患者の皮膚を切り、手術を始める。

 この両親からもらった両手が全開加速を始める。


 心電図がプ、プ、プと患者の心臓の鼓動を伝える音を発するのを聞きながら手術を続ける。

 祈り。

 そう、祈りながら手術をする。

 時々、心電図の音が早まりそして一瞬止まる・・・。

 しかし、この手の動きは止まること無く手術を続ける。

 そう、恐怖との闘い。

 この年になり、数多くの修羅場を乗り越え、外科医として働いてはいるが ”術中死” は未だに怖い。

 努めて平常心を保つ。

 しかし、額からは嫌な汗が流れ出す。

 頼むから死ぬなよ。

 この手術を乗り越えてくれ。

 まだ、止まるなよ。心臓。

 止まるなら元気で退院してからにしてくれ。

 そんなことを考え、祈りながら手術を続けた。

 そして、手術が終わった。

 患者はまだ生きていた。

 神に感謝した。そして、同僚達に感謝した。

 麻酔をかけてくれていたのは中堅麻酔科医A。彼に感謝した。

 そして大ベテランの麻酔科医も付き添ってくれていた。彼にも感謝した。

 そして、大ベテランの麻酔科医に ”今日は本当に有り難うございました。このように非常に危険な患者の麻酔を引き受けてくださって有り難うございました” と言った。

 すると、その大ベテランの麻酔科医。百戦錬磨の麻酔科医は笑顔でこう言った。

 ”いやー、患者の心臓が止まって慌てふためく(中堅麻酔科医)Aの顔がみてみたかったよ!”

 私 ”先生!!! 冗談やめてくださいよ! こっちだって手術をしながら、自分の心臓が止まるかと思うほど怖かったんですよ!” と笑顔で言い返した。

 そう、口先だけの麻酔科医がこう言ったならマジで私も激怒していただろう。

 しかし、大ベテランの麻酔科医の彼は違う。

 ”もし、術中に心停止しても俺がなんとかしてみせる。” と覚悟を決めて麻酔をかけてくれていたのだ。

 ありがとう、みんな。

 今日も消えかけていた命を救ったよ!

 そう、天寿は俺たちが造り出している!

 高齢化社会は俺たちが生み出した産物だ!

 なんて書いたら、神が怒るか???


 これが現代日本の医療現場である。

 これが良いことなのか、悪いことなのか・・・、どうなんだよ。

 誰か教えてくれよ。