六甲颪

 10月3日、晴れ

 ありゃ?

 いつの間にか、10月になっていた。

 でも、あんまり涼しく無いな・・・。


 相も変わらず、手術、多いです。

 外来、予約でいっぱいです。

 先日も、予約無しで受診した患者さんを2時間待たせてしまいました。

 ごめんなさい。

 予約無しで当院のような大規模病院を受診するってことは、それなりの症状があって辛い思いをしているわけで、早く診てあげたいのですが、予約患者で溢れる外来では期待に応えられませんでした。

 しかし、その患者さんと家族を診察室に招き入れての第一声。

 ”先生、お忙しい中、ごめんなさい。”

 ・・・・・・・・・・・・・。

 なんだか涙が出そうになりました。

 その一方で、私の患者さんではありませんが、中待ち合いでクラーク(外来事務)さんにこんなことを大きな声で言っているお金持ちそうな中年女性が。

 ”いったい何時間待たせるのよ! 私は10時に予約してるのよ!!! もう、11時じゃない!!!!!”

 クラークさん有り難う。こんな患者さんの苦情を聞いて、親切に対応してくれて。


 さて、今日も外来をして、なんとか昼食を摂取して、そのまま予定手術の執刀をして、夜になって、ミーティングをして、病棟回診をして帰路につく。


 今日も良い仕事ができたかな・・・。

 どうだろな・・・。

 俺は自分では良い仕事をしたと思っているけど、でもな。自己満足なのかもな。

 いや、そうでもないか。

 術後の患者さんは笑顔で ”ありがとうございました” と言ってくれたよ。

 あれって、嘘じゃないよな。

 信じて良いよな。


 この仕事って不思議なもんで、誠心誠意やっていても、時として、予想もしなかったような目に遭う事がある。

 数ヶ月前の事。

 ある重篤な病気で救急搬送された患者。

 もう、死にそう。

 そう、ショックバイタル。JCS 300。かろうじてレスポンダー。

 取り急ぎ、患者の家族に正直に説明する。

 私 ”手術をしなければ、数時間以内に亡くなってしまうと思います。なので、これこれの手術をお受けになる事を強くお勧めします。”

 黙って私の説明を聞く患者家族。

 私 ”ただ、手術をお受けになっても、絶対に救命出来るとは限らないほど重篤な状況です。その点を十分にご理解いただく必要があります。”

 黙って私の説明を聞く患者家族。

 私 ”ここまでで、病状の説明と、治療法の提案をさせていただきましたが、何かご質問はありますか? 何でもお聞きください。”

 患者家族からいくつかの質問があった後、手術をして欲しいとの発言があった。

 しかし、問題はここからである。

 私が手術の準備の為、その場を立ち去った後、患者家族が突然激高して救急外来の看護師さんに言った。

 ”手術をしなければ死んでしまうってどういうことだ!!!!! 脅してんのか!!! それに、手術をしても死んでしまうかもしれないって、そんなことありえへんやろ!!!!!”

 看護師さんが状況を説明するも収拾がつかず、私の知らぬ所で、看護師さんが私の上司に連絡し、上司が患者家族に説明し説得したのだった。

 これが今の(一部の)日本人である。

 日本に帰国してから沢山の方の手術をしているが、約5%の頻度でこのような患者やその家族に遭う事がある。

 死とは極めて身近にある物であるはずなのに、それが緊急事態に置いては受け入れる事が出来ず、怒りに転嫁されてしまう。

 結局のところ、手術をして術後、ICU管理を要したものの、なんとか回復して軽快退院し患者やその家族からも感謝の言葉があったから良かったが、もしも、術後に死んでしまっていたら、こんな家族だから、何を言われていたかを想像するだけで背筋が凍る。


 話は少し変わるが、先日、テレビで放映されていた日本映画 ”” を観ていた。

 山で遭難し、死んでしまった登山者の父親が、山岳救助隊に向かって、”お前達が殺したんだ! 助かっていたはずだ!” と言った。

 雪山で遭難した父と娘、娘は救助ヘリに助けられたが、父は雪山に取り残された。その娘が、救助隊をこう罵った。

 ”見捨てないで!!!”


 人生とは自己責任である。

 生きるも死ぬも自己責任。

 生命体であるヒト。

 それが我々人間の本質である。

 それさえも忘れてしまった現代の(一部の)日本人。

 家族に対する愛情は痛いほど分かる。

 しかし。

 しかしな。

 雪山に登るなら、死を覚悟して登れよ。

 死んでしまっても、自己責任ってことを忘れるなよ。

 そして、山で捨ててはいけないものは ”命” ってことを忘れるなよ。

 逆説的に言えば、山は ”命” を捨ててしまうリスクが伴うってことを覚悟して登れよ。

 死なぬ為に、全力を尽くせよ。

 そして、死が迫ったらそれを受け入れるべきだろ。

 それが、美しき日本人の、そして本当の登山家の生き様だろ。



 恐ろしい世の中だ。

 こちらが誠心誠意、説明を尽くし、手術をしても、医療者に対して攻撃的な感情を抱く患者やその家族がいる。

 なぜか?

 それはやはり、この戦後教育のあり方であり、現代のマスゴミの影響が強い。



 さあ、そんな事を考えながら、このブログを書いているわけだ。

 でも、そんな事をひとときでも忘れ、一心不乱に生きられるときがある。

 それは、職場からの帰り道。

 この六甲颪に向かって激坂をロードバイクヒルクライムしているときである。

 心拍数は160bpmをこえ、しかし速度はたったの10km/h前後。

 もう、全身が悲鳴を上げる。

 酸素化が追いつかない。

 乳酸が蓄積する。

 それでも、俺はこぐのをやめない。

 苦悶に満ちている。

 しかし。

 今、こうして生きている。

 ただ、それだけを感じたくて、さらにペダリングする。

 そして、心拍数が170bpmを超えた。

 今、俺は生きている。