OO始めました
3月6日、晴れ
ほとんど寝ていない。
昨日、午前9時過ぎから外来を始める。午後2時前に30分間の昼休憩を取り昼食を摂取。
そして外来を続ける。どんだけ多いの患者さん。
一人一人に適切な検査診断治療をミスなくしなければならない。
今はだいぶ慣れてきたけど、楽な仕事ではない。
あせって働いてミスをしたら大変なので。
いやしかし、体調が悪い。
慢性的に疲労が蓄積しているから、常に倦怠感を感じているのだが、昨日のそれは普通じゃなかった。
実は家族が次々と高熱と咳で倒れていた。
長女、三女、妻の順番で発症し40℃ぐらいの熱発と鼻閉、鼻汁、咳。
2日間隔で発症し、4日間ぐらい症状が持続するので大変だったようだ(私は家にほとんどいないので実情は知らない)。妻はこの状況を病病看病(病人が病人を看病している)と表現していた。
しかし、ついに私もうつっちゃった。恐るべき感染力。
激しい全身倦怠感と熱感、咳。
こんな状態で外来していいの?????
もうやめようと秘書さんや看護師さんに言うけれど、外来を止められるはずがない。
そして、夕方、外部講師をお招きし講演会を企画していてその司会をする必要があった。
やばい、外来終わらない。
講師をお出迎えすることもできず対応を事務の方にお願いして、外来を続ける。
そして、開演時間ぴったりに外来が終わった!!!!!
外来から大会議室に走っていく。
体が重い。
息が上がる。
咳が出る。
でも走る。
会場に到着し、講師の先生にご挨拶をして司会を始める。
大盛況で講演会が終わり、ディナーに行く。
とても美味しい和食でした。体調が悪いのを忘れて楽しいディナーを満喫。
午後11時、病院に戻る。
実は外来の仕事が大量に残っていた。
紹介状の返書作成、診断書の確認、化学療法のレジメン確認、画像の読影。
午前1時、やっと終わった。
午前1時30分、別荘にて就寝。
倦怠感、熱感と咳で眠れず。
午前2時30分、当直の外科医から電話がかかってきた。
下部消化管穿孔、汎発性腹膜炎にて緊急手術開始。
手術中も咳が止まらない。
午前6時過ぎ、緊急手術終了。
もう、朝だよ。
今日も朝から手術を数件入れてるよ、、、、、、、、、、、、、、、
朝の回診を済ませ、術前カンファレンス。
そのまま予定手術を執刀。
やばいね。
電気メスで非常に繊細な部位の切離をしている時に突然咳き込むと、、、、、、、、、、、、、
手術が終わり、医師更衣室のソファーで倒れた。
何分ぐらい倒れていたのか分からないが、気がついた。
そして、病棟に上がる。
恐る恐る、体温計を借りて測ってみた。
やはり、そうか、そうだよね。
測るんじゃなかった。余計しんどくなってきた。もう、歩くのも嫌になってしまった。
マスクをして病棟の夕回診。
医局に戻る。
ああ、どんだけ働くんだよ。
風邪をひいても、働き続ける。
そして、やめときゃいいのに新しいことを始めてる。
これまでも余裕で過労死ラインを越えて働いているのに、さらに仕事が増えている。
ドMにもほどがある。
でも、それが必要だと思うからそれをできるようにするためにそれをする。
強い使命感と好奇心に突き動かされて、ボロボロになりながら働き続けている。
はたから見たら、”悲惨”な姿かもしれない。
髪はボサボサ、肌はガサガサ。
顔色も悪く、足取りも重い。
それでも、それをするんだよな。
だってさ、俺がしなけりゃ誰がする?
やっと仕事が終わった。
昨日の朝から、働き続けて。
もう歩きたくない。でも、家に帰らなきゃ。
ロキソニンを飲んだ。
そして、スクラブを脱ぎ、私服に着替え、寒い夜空の下に。