情熱大陸

 11月8日

 渡米する前に、ソニーロケフリを実家に設置してアメリカでも日本のテレビ番組を録画再生できるようにしていた。主に妻や子供たちが使用しているが、私もいくつかの番組を録画予約している。

 それは激走GTと情熱大陸

 先ほど、情熱大陸を見ていて驚いた。

 岡山大学心臓血管外科教授、佐野俊二先生が特集されていた。http://www.mbs.jp/jounetsu/2009/11_08.shtml

 これまでもテレビで彼のドキュメンタリーが何度も放送されているので放送自体は驚かないが、60歳ももうすぐと言うのに、いまだに歯に衣着せぬ物言い。すごいですな。

 さて、佐野先生に関するコメントはこれまでにして

 彼がインタビューを受けていた場所に手術場の医師控え室があった。ここには手術場に設置されたカメラの映像を見るためのモニターがあったり自販機があったりするのだが、私にとっては仮の寝床だった。

 その日の手術を終え容態が安定しない患者、もしくは術後、病棟で急変しICUへと送られた患者を見るためにICUから離れられないことが時々あった。いずれも私が手術した患者でないのがなんとも歯がゆいが。
 そんな時、私、消化器外科医が休めるのがICUのすぐそばのこの手術場の医師控え室だった。ここだとICUから連絡があっても30秒ぐらいでいける。
 だれもいなくなった深夜、明かりは落ち、自販機の明かりのみの部屋でひとり眠る。そしてPHSがなるとすぐにICUに駆けつける。こんな生活を送っていた時期があった。
 決して寝心地はよくなく、当然、毛布も無い。それでも日々の疲労からソファーに横になるとすぐに深い眠りに付く。そしてPHSがなった瞬間、ICUへと走っている。

 思い出深い。

 それと佐野教授が昼食を食べている場面があったが、あれは喫茶と呼ばれる歯学部に近い場所にあるレストラン街の店のひとつだ。
 彼は”そば目玉”(やきそばに目玉焼きを乗せたもの)を食べていたが、私は”そば目玉マヨ大盛”(そば目玉にマヨネーズをしこたまかけたものの大盛)をいつも頼んでいた。なんであんな高カロリー、高脂肪食を食べていたのに太らなかったのだろう(むしろどんどんやせていった)と思うが、消費カロリーがそれを上回っていたのだろう。
 めったにこの喫茶で食事をすることは出来ず、ほとんどが病棟もしくは手術場へと運んでもらった物を食べていたが、時には、この喫茶で食べられることがあった。
 ある日、珍しく時間があったので一人でこの喫茶で”そば目玉マヨ大盛”を食べていた。すると先輩のU先生が同じく喫茶で食事をしていたので軽く会話をしてU先生は先に病棟へと帰って行った。
 そして食事を終えて会計をしようとしたら、こう言われた。”先ほどU先生が会計を済ましていかれましたよ”と。 おごってもらってしまった。
 なんだか妙に嬉しかった。たかだか数百円の品だけれども、それを後輩のために払ってくれている先輩医師。いい先輩を持つことは若輩者の後輩にとって大きな喜びだ。
 このU先生は私が尊敬する数少ない先輩医師の一人。手術の腕も良く、そして向学心に溢れ、そして後輩を大切にする。私も彼には歯に衣着せぬ内容の相談を何度もしたことがある。
 アメリカに来ていろんな嫌な思いをしていると、彼から突然メールが来た。”耐え忍べばかならず光が見えてくると思います”と。
 しかし、これはあくまで日本にいればの話だと強く思う。アメリカでは耐え忍んで黙っていても何にもいいことはない。むしろ佐野先生のように言いたいことを言ったほうがむしろ評価が上がる。

 この情熱大陸の放送を見て、懐かしいという感情とともにいつかはまた、あの大学病院で働くかもしれない思うと胃が痛くなってくる。しかし、それ以上に全身の血液が沸騰するような感触を覚える。そう、戦いの場があそこにはある。
 好戦的な性格の私にとっては、”戦いこそ人生” また、あの職場に戻る日が来るかもしれないと思うとアドレナリンが嫌でも出てくる。

 そんなこんなだけれども、日本と比べたら、ここミネソタはとっても平和だ。夜間休日に呼ばれることは多々あるが、日本の頃のように修羅場に行くわけではない。

 これからの人生、どう歩んでいくか。自分でよく考え、自分で決めて行きたいと思う。

 そして、日本の国立病院で薄給ながら激務に耐えている、外科系医師、麻酔科医、小児科医、救急医、消化器内科医の皆様方に幸あれ。