若者たちだけで

 11月20日ミネソタ、今日も暖かい




 秦君も好きですが、スキマスイッチも好きです。


 さて、今日も肉体労働の日だったんだけれど、中ボスクラスが軒並み不参加。病欠やら会議やらで結局、私を含めて3人で仕事をすることになった。普段だったら6人でやっているんだけれど。

 若いスタッフの二人BとR、そして私。

 しかし、みなどこか楽しそう。

 この職場に来て半年がたち、私は彼らの”隊長”にさせられてしまっている。ちなみに前隊長は帰国したA先生。

 そして、いつもより順調に仕事は進み、7割ぐらいの時間で今日の仕事を終えた。そして内容は貫壁。

 仕事が終わってBがこう言った。

 ”Cool guysだけで仕事をするとこんなに早くできるんだよな”

 俺も"cool guy"に入れてくれているようだった。どっちかというと"cold guy"だと思っているんだけれど。

 そして仕事が終わり、中ボスがやってきて”Good job”と言った。


 話は少し変わるけれど、大学を卒業して外科医になり半年ぐらいたった頃、突然、外科部長がこう言った。

 ”今日はお前が前立ち(助手を)してみろ、今までお前は俺のこの手術を3回見ているからできるはずだ”

 まさか突然、助手を任されるとは思っておらず、緊張のあまり手が動かず、すぐに降板させられた。

 そしてこう言われる。

 ”外科医ってのは3回見たら、全ての手順、全ての手技を覚えられるぐらいではないとだめだ”

 あー、なんてすばらしき先輩でしょう。

 この人は、定期手術は毎回全く同じ手順、同じ作法で手術をしている人だった。それも両手の使い方、指の使い方さえも同じでないと助手をしていても怒られていた。手術中に会話は全くない、彼の動きに合わせて自然と手が動くようになるまではそれから1年の修行が必要だった。それもかなりつらい状況で。私以前にも何人か彼にいじめられてやめていった人の話を聞かされていた。ただ彼のおかげで、外科医としての心構えを学べたと思う。調子の悪い鑷子やはさみを出されると激怒して放り投げる習慣も彼から教わったのだが・・・・。

 そんなこんなでどんな手技でも3回見るうちに同じことが再現できるようにといつも勤めていた。


 そして時がたち、広島の野戦病院で働いていた。

 ある日、交通外傷の患者で腹腔内大量出血の人が来た。血圧も低く、もうじきショックになって死んでしまうであろう状況だった。

 まだ、なんとか輸液にレスポンスしてくれていたので腹部造影CTをとった。そうしたら、腹腔内で数箇所、造影剤が血管外にもれているところがあった。

 そのCT写真を、ずーっと見つめていた。何を考えていたかというと、どの血管からどこに出血していて、それを止めるためにはどの手順が最適かをずーっと手術が始まるまで何度も考えていたのだ。開腹した瞬間に腹圧が下がり、出血が増すだろう、そして血で溢れる腹腔内の視野は相当悪いだろう。そしてまず、どこをどの指でつかみそしてどこをクランプし、そして次にどの出血部位をとめに行くか。ずーっと考える。そして実際にそれを行う。ちなみにこの病院には大動脈にバルーンを入れて出血の元となっている血管の起始部を一時的に塞ぐ技術が無かった。
 このひとは若かったのもあるが、何の後遺症も残さずに元気に退院して行った。高速道路で自損事故を起こしたのだが、理由は”動物が飛び出してきてそれをひいてはいけないと思ってハンドルを切ったんです”だった。こんな優しい人は死んではいかんだろう。


 そんな日本で培った技術は今も生かされている。

 卒後まもなく私を激しくいじめてくれた某外科部長も今では笑顔で話ができる恩師となっている。

 日本の頃と比べたら、今はなんて平穏な職場なんだろう。家族と一緒にいられる時間がこんなにもあるなんてすごく素敵な生活だ。



 冒頭のスキマスイッチ / ゴールデンタイムラバーだけれども、結構重い歌詞を軽快なテンポでうたっている。

 スキマスイッチ、いいですね。

 さて明日は土曜日。

Have a nice weekend.