暴走特急はどこへ向かう

 11月25日、ミネソタ

 薄暗く寒い町、ミネアポリス。今日は久しぶりにデスクワークをしていた。いまだにデスクトップPCが支給されず、Mのデスクトップを借りて仕事をしていた。

 これまでの数年分のデータをいろいろと見ていたけれど、すごいデータの量だ。そして今までこの職場で勤務していた日本人ドクターが残して行ったプレゼンの資料や統計解析のデータもいろいろと見ていた。詳細に分析してあって、やっぱり日本人ってすごいねって思いながら。

 このように過去のデータを見ていると気がつくのだけれど、最近半年間の仕事量(実験の量)は1、2年前の3、4倍になっている。この半年間、暴走特急の如くほとんど毎日、実験を繰り返してきた。そして1週間ほど前から、実験データのまとめを始め、毎日会議を開き今抱える問題点と改善策の検討を毎日5-6時間もかけてみなで話し合ってきた。

 日本で研究していたときは全て自分ひとりでやっていた。もちろん研究室のボスと相談しながらなんだけれど、仮説を立て、実験計画を作成し、実験の準備のために試薬を発注し、実験して結果をまとめて、考察をする。全て一人でやっていたので、実験系もきわめて単純なものだった。対照群と実験群では1要因しか変化させず、それ以外の要因は全て同じにしてやっていた。当然、有意差があるかどうかも簡単に計算できるし、そしてその有意差があるとの結論にケチをつけられることも無い。

 しかし、ここでの実験は大ボスがいろいろと手を加え、そして中ボスも手を加え、実験内容は混沌としている。要因がそれこそ10個以上あるので、単純に1要因の中で判断するのが非常に危険な状況になってしまっている。荒れ狂うハリケーンの中にいるような気分だ。

 なぜ、こうなるかというとその理由はそれなりに分かっている。要は ”論文が書きたくて実験をしているのではない” のだ。

 実験をしているというよりも製品を製造していると言った方がよいかもしれない。より多く、より質のよい製品を作るためにいろんなことをする。

 ただ、あまりにも無秩序なような気がして仕方が無い。私がもし実験のマネージメントをしていたら絶対にこんなことはしないと思うことが多い。

 これまで製造結果が改善していたのはすべて日本人ドクターの提案によってなされた改善によるものであったことも最近知った。

 そして1、2年前から徐々に製品の質が低下していっていることも分かった。

 これには”とある試薬”の影響がもっとも大きいのだが、それ以外にいろいろ手を加えたことがほとんど全てネガティブな結果しか生んでないようだった。

 こんなことを考えながら、パワーポイントやエクセルやGraphpad Prismを起動させてパソコンを使っていたら何だか動きが悪くなったので、再起動させようとしたら、エラーメッセージが出て再起動できなかった・・・・・・・・。起動用のプライマリーハードディスクが認識できないようだ。IT機器を保守管理している部署に電話をして修理を頼んだ。どうせ今日中には来てくれないんだろうなと思い、データの分析はあきらめて論文を読むことにした。そして案の定、IT guyは来なかった。

 何だか、明日から4連休が始まるというのに非常にテンションが下がってしまった。

 この暴走特急にしがみついて働くしかないのか、さっさと下車するか、それとも暴走特急をうまく乗りこなすか、えらそうないい方だけれど、暴走特急を日本の新幹線のように整然と機能する列車に変えるように努力するか。どうしようかなーと帰宅しながら考えていた。

 実は私がとんでもない愚か者で、ここに書いたことは全て杞憂、大ボスはすべて理解していて正しい方向に向かっている。ってのが真実だったらその方がまだマシなような気がする。

 iPSが樹立された経緯は研究者の方ならみんな知っていると思う。山中先生のグループは早い段階で有力候補である遺伝子を数万個の遺伝子の中からデータベースを駆使して100個に絞り込み、さらに実験を行って24個に絞込み、その24個の遺伝子からひとつづつ導入する遺伝子を取り除いていって、最終的に4個になったという手法をとっている。言われてみれば簡単に思えるが、かなりcoolなやり方だと思う。このような論理的な手法を用いなければ私たちの仕事が陽を浴びるのははるか未来になるのは間違いない。