脳死移植を考える

 12月16日、ミネソタ晴れ

 今日は少しまじめな話をしようと思う。

 昨日、書いた記事に”最近、仕事内容にいろんな工夫を加えたのでどうなるかが楽しみじゃのう”と書いたけれど、昨夜仕事をしていていろいろと考えるところがあった。


 アメリカでは移植医療のほとんどが死体ドナーdeceased donorからの移植である。

 (死体ドナーには ”脳死ドナー” と ”心停止ドナー” が含まれている)

 そして私が関与するのは死体ドナーの中でも脳死ドナーbrain dead donorのみである。

 仕事柄、その脳死ドナーの診療録medical recordを読む必要がある。

 仕事に出かけるとき、そして仕事中も、我々の作業の結果、難病患者に移植が行われ生活の質QOLが大きく改善することになると思うと意気揚々としている。そして臨床家としてだけではなく研究者としても”好奇心”に突き動かされ、観察、仮説の構築、実施、考察の過程を幾度と無く繰り返して生活している。そう、楽しいと思って仕事をしている。

 しかし、いつも決まって、ドナーの診療録を読むと得体の知れない感情が沸き起こってくる。

 脳死の原因は、脳出血脳梗塞が圧倒的に多く、頭部外傷がそれに続く。そして、脳出血によって脳死となる人は皆さんが思っているほど、年寄りが多くはない。20代の人が脳出血を起こし、脳死となり、そしてドナーとなることもある。

 例えばこうだ。数日間、頭痛と吐き気を感じる。そして突然意識を失う。病院に運ばれ、全身CT検査を行う。脳出血を認める。そして脳死判定が行われ、移植ドナーとなる。意識消失からドナーとなるまでの期間がアメリカでは非常に短い。だいたい2、3日である。

 あっという間に各臓器が、各施設から飛んできた外科医たちによって摘出され、命の光となってレシピエントの元へと届られる。

 ほんとうにあっという間だ。なぜかと言うと、早ければ早いほど臓器の状態が良く、移植を受けた患者の改善率、生存率が向上するからだ。

 ただ、突然死んでしまった本人、残された家族のことに思いをめぐらせるとなんと表現していいか分からない思いがこみ上げてくる。

 今こうしてアメリカで働いていると”脳死が人の死である”ことは当然のこととして受けとめている、はずだ。

 ただ、日本人としての宗教観、死生観からするとどうも割り切れない。

 脳死者の臓器を治療に使っていいものだろうか? なんて我々の行っていることそのものに対する疑問さえ浮かんでくる。

 しかし、アメリカ人はこんなことはほとんど疑問に思うことはない。そこには宗教的な考え方の違いが大きく影響している。

 本来、医学は科学であり、科学に宗教が口をはさむのはおかしい。ガリレオの話を思い出してみて欲しい。しかし、医療は医学と同意ではないし、医療とは科学であると同時に人の命が大きく関与する以上、宗教とは切り離して考えることは出来ない。生命倫理学なんて学問もあるぐらいだ。

 日本の宗教家の意見http://www.cabrain.net/news/article/newsId/23058.htm
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「『臓器移植法』改悪に反対する市民ネットワーク」は7月8日、参院議員会館で「『臓器移植法』改定を考える緊急院内集会」を開いた。集会では、仏教の関係者6人とキリスト教教派神道の関係者各1人が、脳死は人の死かどうか、臓器提供で本人の意思確認が必要かなどについて、それぞれの見解を発表した。

 宗教者らからは、「脳死は人の死」とすることへの批判の声が相次ぎ、「脳死は人の死ではない」「脳死者は限りなく死者に近いことは認められるが、死者であるとは認めがたい」「『脳死は人の死』とする国民的合意は形成されていない」「慎重な議論が必要」などの意見が出された。また、臓器の提供には本人の意思確認が必要
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 一方、アメリカではほとんどのキリスト教の宗派が脳死移植を肯定的に評価している。(脳死を人の死として認めないと表明しているのは極々一部の宗派だけである)

 そしてThe Gift of Lifetime(一生涯の贈り物)という臓器移植に関するアメリカのサイト内のUnderstanding Death Before Donation(臓器提供する前に死について理解しよう)を読んでみると、こう書いてある。

 Brain Dead is Dead. There is No “Recovery” 脳死は死であって、絶対に回復しない。


 アメリカでは盛んに死体ドナーからの移植が行われている。

 アメリカではUNOS(United Network for Organ Sharing)と言う組織がドナーおよびレシピエントの登録管理を行っている。

 このUNOSのサイトから得られるデータをいくつかご紹介する。

 まず、2009年12月16日現在の移植希望待機者数と1月から9月までに行われた移植件数、そして1月から9月まで移植ドナーとなった人の数。(画像クリックで拡大)
イメージ 1

 死体ドナーDeceased donorを見てみると、6011人が死体ドナーとなり(臓器を摘出したが移植にいたらなかった人は含まれていない)、16520件の移植が行われている。

 (死体ドナーには ”脳死ドナー” と ”心停止ドナー” が含まれている)

 次に、1998年から2007年までのデータ。死体ドナーから提供された臓器の移植件数である。(画像クリックで拡大)
イメージ 2

 アメリカでは死体ドナーからの移植が毎年2万件以上行われている。


 一方、日本。

 日本では日本臓器移植ネットワークが死体臓器移植を管理している。

 その中の脳死臓器移植件数(1999年から2009年まで)のページがこちら
イメージ 3

 皆さんご存知だと思うが、日本では1997年10月に臓器の移植に関する法律が施行され、脳死移植が法律上認められた。そして日本で初めて脳死移植が行われたのは1999年2月である。1999年からこれまで脳死ドナーは82人であり、移植数は合計352である。

 そして2009年の死体ドナー(脳死および心停止ドナー)からの臓器移植件数がこちら。
イメージ 4


 そう、たったこれだけ。

 これにはさまざまな要因があるが、もっとも大きな要因はやはり、宗教観だと思う。

 もし日本人であるあなたが、もしくは家族が、突然、意識を失い、そして脳死と判断されすぐに移植のために臓器が摘出されるとしたら、受け入れられますか?

 意識を失ってから数時間以内に脳死と判断されて、それを死として受け入れられますか?

 そしてすぐにドナーとして臓器を提供することが出来ますか?受け入れられますか?

 私には出来ない。

 しかし、アメリカ人のほとんどはそれを受け入れ、そして脳死者からの臓器移植・組織移植を”善”として考えています。そしてその医療にかかわる人たちは誇りと喜びを感じながら働いています。

 なので、私がこの仕事を楽しいといえば、アメリカでは大いに賞賛されるでしょう。しかし、日本で同様の発言をしたら、”なんて、不謹慎なやつだ”、と非難を浴びるかもしれません。

 今は、あくまでも日本人としての倫理観を持っているためこのような苦悩を感じていますが、アメリカ人と同様の価値観を身につけてしまえば、こんなことは苦悩でもなんでもなく、ただ喜びとして感じるのかもしれません。




追記:
 インターネットで検索してみると、アメリカでの移植に関してかなり間違った値(移植件数等)が掲載されている日本語サイトを良く見かけます。この記事では、引用元を明記しましたが、もしも何か間違いがあればご指摘ください。