職場復帰1日目

 2月22日、ミネソタ晴れ

 相変わらず氷点下の日々が続くが、寒さも弱まり外出するときにニット帽をかぶらなくても大丈夫になってきた。

 今日、3週間の育児休暇を終え職場復帰した。仕事始めは毎月恒例のクリーンルームのクリーンナップ。

 新人が二人入ってきたのだけれど彼らの指導もしなくてはならない。クリーンルームに入るときは専用のつなぎを着て入るのだがなるべく清潔を保って着用しなければならない。新人がつなぎを着る様子を見ていて”初めてなのか?”と聞くと2回目だという。え!2回目なのにそんなめちゃくちゃな着方をしているのか?と改めて指導した。

 清潔不潔の考え方ってのは非常に重要なのだけれど彼らには全く理解できていない。これはなにも新人に限ったことではなく数年間もこの職場で働いている人でさえもできていない人がほとんど。渡米当初、彼らの間違いを正そうとしても、”これはまだ清潔だ”と言い張って結局理解しようとしなかった。

 逆に言えば、少々不潔になっても意外に大丈夫なんだということを知ることにもなった。

 たとえば日本の研究室では試薬のボトルやフタ、細胞培養のフラスコの口をガスバーナーであぶっていたが、ここでは全くしない。かといって操作が貫壁かと言えばそうでもない。ボトルの口に指が当たっていることもしょっちゅうだし、パイペットの先端が不潔なところに接触していることも多々ある。それでもめったにコンタミしないのでそれでいいと言えばいいのだろう。

 こう考えてみると日本でやっていた清潔操作がむしろ過剰だったのかとも思う。

 でも彼らは実験の操作手順書を事細かに作成しその通りにやっているから問題が起きていないと主張する。しかしそうではない。操作手順書通りにやっていないことがよくある。それでも表向きは手順書通りにやっているということになっているから怖い。

 これは何もこの職場に限ったことではない。アメリカという国そのものがそんな調子だと思う。

 操作手順書を事細かに作成し、その通りに行ったと記載する。しかし、実際はそうではない。そして問題が起きた時には手順書通りにやったからまったく個人に非はないと主張するのだ。

 あまり詳しくは書けないが、多くの矛盾を抱えていることは間違いない。

 しかしその矛盾を矛盾と認識できないのか、それとも認識していると認めてしまったら立場があぶなくなるからなのか。

 そんな国にバッシングされているトヨタがなんだかかわいそうにさえ思えてくる。


 さて、そんな話はここまでにしておいて。

 今日は新人の歓迎を兼ねたランチを皆でとるためにバッファローウィングで有名なお店に行ってきた。

 そんなところで話をする彼らはとても生き生きとしていてさわやかでいい人たちばかりなのだった。

 日本人も、自国や自国民を批判するような姿勢をとり続けて自虐的になるよりももっとおおらかに過ごしたほうが良いのではないだろうか。そしてアメリカ人のように許容するべきではないところは徹底的にたたく! そうしたほうが良いと思う。

 アメリカは人民の人民による人民のための政治とエイブラハム・リンカーンが語ったように表向きは民主国家である。しかし実際はそうとは言えない。一部の権力者、資産家が資産を増やし権力を得るために作られ運営されているという側面があるのだから。時にはその為に自国民を大量に犠牲にしたりする。そして犠牲となって死んでいった人々を英雄として称えることは決して忘れない。

 それとくらべ日本の政府はなんとお人好しでおバカなんだろうかと少々飽きれることが最近多い。

 まあ日本国民が自ら選んだのだからしょうがないのかな。それとも国民は操られているただけなのだろうかな、アメリカみたいに。