常識って何?

 3月10日、ミネソタ

 雨、雨、雨。もうええから晴れてくれや。そんな気分で出勤。

 アメリカ人は朝が早い。7時過ぎに職場の駐車場に車を入れるとすでに出勤している人がたくさんいる。


 いまやっている実験が少々うまくいっていないところがあり、ずーっと何が問題なのか考えていた。そして先週、あることにふと気が付いた。今まで常識だと思ってやっていたこと、良かれと思ってやっていたことが実はうまくいかない原因なのではないかと思うようになった。

 科学者は、観察>仮説の構築>実験>観察>考察>仮説の構築を繰り返して生活をしている。この”観察”の部分がもっとも重要で目に見えるもの、実験の結果として出力されてくる数値をどうとらえるかが重要。当然、統計を使って検討して考察を加えることがその中心となるが、定量化できるものしかこの手法は有効ではない。

 目に見えるものを脳が処理して事象としてとらえるのだが、ここが科学者にとっては最も重要だと思う。

 今回の場合は、その見た目からうまくいっていると皆思っていたことが、見かけ上はそう見えるだけで実はうまくいっていないのではないかと疑問を感じたのが先週だった。

 その結果、同僚の常識を否定することになり、彼らに私の考えていること、あくまで今のところ仮説ではあるが、それを説明することに今週はかなりの時間を費やした。

 英語力がまだまだたらず、自分の言いたいことをうまく伝えるのに時間が非常にかかることが歯がゆいが、真剣に耳を傾けてくれる同僚のおかげで今のところうまく自分の主張が伝えられている。

 私の職場はまさに巨象、ミネソタ大学でも最大のラボの一つだと思う。たくさんの人がいろいろなアイデアをだし、未開の荒野を爆走している。その中でも、私たちの部署がしている仕事の成果次第でこのラボ全体が正しい方向に進めるかどうかが決まる。そう、とても重要な立場にいる。今までは荒れ狂う巨像に引きずられて生きているような感覚であったが、とうとうその巨象の手綱を握る立場に来た。

 それとこのラボの優れている点は、これまでの実験の詳細がすべてしっかりとデータベース化されていることである。なので自分の感じた疑問を解決するために、過去のデータを見返してみれば仮説が正しいかどうかある程度判断がつくのである。

 今週の実験で私の仮説が正しいらしいことが明らかになりつつある。しかし、もっともっと実験をして有意であるかどうかを確認しなければならない。

 明日も巨象にまたがり進んでいこう。はるか向こうにある光に向かって。