私は親知らず、父は脚

 8月6日、ミネソタ晴れ

 さて、今日は親知らずの抜歯に行ってきた。先日破損した歯を後方から圧迫していた私の親知らず。今日おさらばです。

 9時過ぎに歯科に到着し、簡単に再度説明を受け同意書にサインをして手術開始。

 表面麻酔をする。局所麻酔を打つ。歯肉を切開する。親知らずを露出させ、削り、砕く。引き抜く。遺残がないように掻把する。縫合して終了。

 歯肉を切開してから縫合が終わるまで約5分。麻酔もよく効いていて痛みは無し。

 ガーゼを噛んで圧迫止血した状態で歯科を後にした。

 麻酔が効いているので痛みは無い。

 1時間、ガーゼを噛んだのち、ガーゼを外してみると、創部から大量に血があふれてくる。さらにガーゼを新しいものに換えてふたたび圧迫止血をする。さらに2時間圧迫止血するもガーゼをとると血が湧き上がってくる。

 妻は親知らずを日本で3本抜いたことがあったので話を聞いてみた。こんなに血が溢れるようなことはなかったとの事。

 鏡を使って創部をよく観察してみると、切開の端だけを縫合してあってその奥はぱっかりと傷が開いていて、大きな穴が開いている。そして血はその穴の奥から噴き出してきている。そりゃ圧迫止血してもとまらんわ。さらに切開は頬の側まで伸びている。口を動かすと、その創部がぱかぱかと口を閉じたり開いたりする・・・・・。

 圧迫するとその時は血が止まる。しかし、圧迫を解除すると創面が広く口腔内なので容易に変形するため、凝血槐が容易にはがれて再出血するのだ。

 なんだか、腹が立ってきた。私がもし歯科医ならこんなことにはならないように縫合するだろう。

 そこで、歯科医院に電話して状態を説明した。そして、縫合が創の端だけで傷は全く閉鎖されておらず、傷の奥から血が噴き出すがこれが普通なのか聞いてみた。すると、いつもそうしているとのこと・・・・・・。だったら普通ならどのぐらいで止血されるんだと聞くと、30分ぐらいですという。俺はもう3時間も圧迫止血を試みているんだぞ!!!!
 さらに30分、圧迫止血をして止まらなかったら電話をくださいという。3時間やって駄目だったのに止まるわけないだろう・・・・・。

 そう、それとなぜ開放創にするのか聞くと創部に血がたまらないようにするためなんだそうな。おかげさまで血がじゃじゃ漏れです。

 さて、それに関連しての話だが、処方された薬は鎮痛薬のみで抗生剤は入っていなかった。これと開放創にすることは密接な関係がある。抗生剤を飲まず、創を閉鎖したら死腔ができそこに感染が起きる危険が高くなる。なので抗生剤を投与し創を閉鎖するか、抗生剤を処方しない代わりに開放創とするかのいずれかになるだろう。アメリカでは後者なのだ。

 日本の親知らずの抜歯について調べてみたら、開放創にすると言っている歯科医と、絶対に創を閉鎖するべきだと言っている歯科医に分かれていた。抜歯の後にだらだら血が出ることを考えると、適度に創を閉鎖するべきだと私は思うのだが。それと、開放創は3次治癒となり治癒が遅れるはずだ。

 このころになって麻酔が切れて強い痛みが出てきた。そこで処方されたハイドロコドンという麻薬とアセトアミノフェンの合剤を飲んだ。これは劇的に効く。内服してから10分ほどで痛みが取れてきた。しかし、それとともに強烈な眠気が襲ってきた。もう、歯科医にどうこう言うのはあきらめ、自分でどうにかしようと考えた。そう、徹底的に圧迫止血するのだ。

 その後、ガーゼを口に突っ込んだまま3時間寝た。そしてガーゼをとると、出血はかなり下火となっていた。

 疼痛治療に関してだが、アメリカでは日本よりもはるかに過激でよく効く薬を出してくれる。しかもその薬代がとても安い。ハイドロコドンとアセトアミノフェンの合剤を20錠とイブプロフェン600㎎を20錠、購入したが5ドルだった。日本では医師の処置に対する費用が異常に安いが、薬はアメリカよりも高い。これは薬の値段にも違いがあるのだが、日本の薬剤師が受け取る報酬にもからくりがあるのだ。

 さて、そんなこんなで昼食も食べられなかったので、起床してから妻が創面にやさしいように柔らかく茹でた素麺を作ってくれた。

 創部から血が溢れるってのは患者としては非常に不愉快だし、たぶん素人だったらとても不安に感じるだろう。それと、創面から大量に出血しているのを見るのは外科医としては非常に腹が立つのだった。


 さて話は変わり、実は今日の早朝、日本に住む姉から電話がかかってきていた。父が登山中に転倒し、足を骨折し今日手術すると。

 夕方になり、実家には母がいるだろうと思い、電話をかけてみた。するとこれから病院にいく直前だった母が出てくれた。そして、父の受傷機転と治療経過を聞いた。

 父は登山を趣味としている。ここ数年はさらに登山熱に火が付き、登山仲間と近場の大山やらいろんな山に登っている。夏山も好きだし、深い雪に覆われた冬山もこよなく愛する登山家である。実家の父の部屋に登山道具がいつもきれいに整備された状態で置かれているのを見るとこちらも楽しくなったりする。どの装備もこだわりを持って集めたもので、普段のトレーニングも欠かさず、今はやりのなんちゃって中高年登山者とはわけが違う。
 今回は、日本アルプスを単独で縦走していたそうな。数泊の予定で20kgの装備を背負い歩いていた。しかし左足を滑らせて転倒し、装備の重さも手伝い、左足の腓骨を骨折したのだった。さて、どうやって下山したのだろう。なんと、自力でその装備を背負ったまま9時間歩き、自分の車のところまで戻り、さらに自分で車を運転して岡山まで戻ってきたそうな・・・・・・・・・・・。
 そして、病院にたどり着いた頃には骨折した部位はパンパンに腫れあがり、レントゲンを撮ってみると腓骨は大きく変位し小さな骨片までできてしまっていた。手術でその骨片を除去しプレートで腓骨を固定したそうな。
 いかにも私の父親らしいなと思った。普通、山で脚を骨折したら救助を求める。ヘリだったり、山岳救助隊の救援を受けたり。しかし、他人様に迷惑をかけることが大嫌いな父、ひたすら自力で下山した。食料も十分あり、GPSもあり、痛みさえ我慢すれば十分自力で下山できると踏んでの事だろう。そう、痛みを我慢しさえすれば・・・・・・。腓骨を骨折した状態で20kgの装備を背負い、9時間歩く・・・・・・、私には想像もつかない。
 奇しくも8月6日は広島に原爆が投下され未曾有の市民大量虐殺が行われた日。そして、その戦後に青少年時代を過ごした父。私なんかとは比べ物にならないほど忍耐強い。そして人様に迷惑をかけるようなことは絶対にするな、堂々と胸を張っていけるような生き方をしろと私にも小さなころからきつく教育していた父。今回こうして日本アルプスで脚を骨折しながらもその信念を貫いた父を心から誇りに思う。

 こうして父の今年の夏山は終わった。たぶん、脚が治ったら再び体を鍛え直し、意気揚々と雪山に登るんだろう。私たち家族はそれをとめるつもりはさらさらない。これが彼の人生であり、彼のことを私たち家族全員、誇りに思っているのだから。