黄金の声を持つ乞食
1月6日
とある乞食の話をしよう。
彼の名はテッド・ウィリアムス。ニューヨーク、ブルックリン出身、1957年に彼は生まれた。
ブルックリンで生まれ育った彼の名は、父親がつけたもので有名な野球選手の名前をとってつけられたのだった。
彼は14歳のときにフィールドトリップに出かけ、その時にラジオのアナウンサーに出会いこう言われたことをきっかけに、ラジオのアナウンサーになることを夢見るようになった。その言葉は”ラジオはtheater of mindだよ”
そして、ラジオのDJになった。
しかし、1993年ごろ、コカイン・クラックなどのドラッグにおぼれさらにアルコール中毒となった。
そして、職を失い、住む所を失いホームレスとなったのだった。
そんな彼も2008年に薬物、アルコールを断ったのだった。
しかし、その後も乞食として生きていた。
ある日、転機が訪れる。
2011年1月3日、オハイオ州コロンバスにあるハイウェーI-71の降り口で物乞いをしていた彼の姿が、Columbus Dispatch'sという新聞社のビデオ撮影家Doral Chenowethの目に留まった。テッドはその時、こう書かれたサインボードを掲げていた。
”I have a God-given gift of voice.”
髪は伸び放題で、何日もお風呂に入っていないのであろう、そしてその服も・・・・・・。
しかし、彼に”お金をあげるから、何かしゃべってみてよ” と言うと、彼はなれた口調で、その太く優しい声でDJのまねをして見せたのだった。
テッドにはもう20年以上も会っていない母親がいた。いつも彼は母があと一年でも長く生きていて欲しい、そして母親に会いたいと神に祈り続けていた。
さて、一方、Doral Chenowethはその彼との出会いと会話をすべて録画していたのだった。
それを、Columbus Dispatch'sのウェブサイトに掲載したのだ。
その映像が瞬く間に世間に広まり、彼の黄金の声に多くの人からお金や服の寄付や、雇用の申し出が寄せられることとなる。
1月5日、Dave and Jimmy Showというテレビ番組に出演する。
そして、その他のテレビ番組からもインタビューを受ける。
ホームレスの生活から一転、全米中の有名人となった。
テッドは92歳になる母親に会うために1月5日にニューヨークに飛行機で移動しようと試みる。しかし、アメリカの運輸保安局は彼の搭乗を拒否する。なぜならテッドは自らの身分を証明できる物を持っていなかったからだった。
その翌日の1月6日、テレビ番組の助けを借りてついに母親との再会を果たす。
麻薬、アルコールにおぼれホームレスとなり、窃盗や強盗を犯したテッド。そんな彼が出来ることは、祈りであった。彼はいつも神に祈りをささげていた。いつか母に会いたいと。
そして、その祈りが通じたのだった。
ここに書いたことは、少々の誤訳があるかもしれないが、すべて事実である。
This is America.
とてもセンセーショナルでイモーショナルな出来事だった。