DMAT
7月20日、曇り
台風6号が四国や和歌山に被害をもたらした。
自然災害との戦い。それが日本。
でもね、私の故郷、岡山って自然災害少ないんだよね。大きな地震も無い。台風も直撃しない。四国が岡山を台風から守ってくれているんだ。
自然災害が少ないってのは良い事だけではないんだよな・・・、って小さい頃から感じています。
どういう事かって言うと、命をかけて何かを守るって環境が希薄ってこと。それと人間の命の儚さと大切さを感じ、医療の価値を再確認する機会も少ない。
神戸に来て感じる事。
みな温かい。
正直に言うけれど、帰国してすぐにこの東日本大震災が起きた。そして、すぐにこのDMATに参加して被災地への派遣を志願した。
しかし、派遣してもらう事は出来なかった・・・・・。
なぜか???
それは、DMATの隊員は災害救護専門のトレーニングを受けた専門家集団。
そんなチームに災害救護ど素人の私は入れてもらえなかったわけだ・・・。
先輩や同期、後輩達が次々と被災地へ向かって行く。その間、私は勤務先の病院で手術に明け暮れていた。でも、いらだちは感じなかった。HOMEを守るってもの重要な役割だからね。
さて今後どうするか。
とりあえずDMATのトレーニングに参加する予定にしている。
そして、来年からはトレーニングを受けたプロとしてDMATに積極的に参加する。
先日、私のDMATへの積極的参加希望を聞いた上司がこう言った。
”臭うな。Armadaからはそんな匂いがする。”
”Armada向いてるわ。なんでもズバッと決断するやろ。その決断力がな、災害救護では重要なんや。でもな、つらいぞ。”
さて、先日(7月19日)読んだ産經新聞の記事をご紹介。
ぜひ皆さんご一読を。
この文章の中で最も私が心引かれた一文。
”新首相には言いにくいことも言っていただきたい。人はいざという時、命を捨てる覚悟がなければならぬ、ということを。そして、公のために身を犠牲にした人は敬意をもって遇せねばならぬ、ということを。それは、炎上するビルに突入して殉職したニューヨークの消防士についても同様である。大震災は命の尊さを教えたが、同時に保身や延命だけが全てでないことも教えてくれた。”