スティーブ・ジョブズのスピーチより

 10月8日、秋晴れ

 なんだか久々にゆっくり寝た。

 今朝、私を目覚めさせたのは次女の次の発言だった。

 ”ねえお母さん!!! Dairy QueenのIce creamが食べたい!!!”

 もう帰国して半年が経つのだが・・・・・、こんな発言を聞くとは・・・。

 多分、今日みたいな秋晴れの日に、ミネソタ在住時代にDQのアイスクリームを食べた記憶がよみがえったのだろう・・・。


 さて、朝、いつも通り休日の病棟回診に出かける。

 休日も普通に出勤するってのはいかにも日本的だなと思うが、もう慣れてしまって違和感も無い。

 研修医も後期研修医も当たり前のように朝来て、全員揃って病棟回診をする。

 平日は手術が朝からあって全員揃って病棟回診なんか出来ないので休日の病棟回診はある意味気持ちがよい。回診時の患者に対する処置はすべて優秀な若き外科医達がしているので私はそれを見ているだけで良い。そして、患者からの訴えや疑問に適切に応えるのが私の仕事である。

 私は決まって回診の最後に患者にこう尋ねる。

 ”何かお困りの事はありませんか? 不安な事はありませんか? なんでもお聞きください。すべてお応えします。”

 そう、完璧な手術をしていてもね、患者の訴えはすべて聞きます。


 さて、今日も職場ではスティーブ・ジョブズの話をしていた。

 テレビでも昨日からスティーブのニュースが流れていた。

 でも、どのニュースも彼のスピーチをぶちぶちと引きちぎって編集した内容で全く持ってそのスピーチの内容が十分に伝わってこない・・・。

 そもそも、英語を日本語に訳してそれを字幕にしてニュースにしていて・・・、それってちょっと違うよな・・・、って思うニュースも少なからずあった。

 Appleの新製品の発表のための彼が行ったKeynoteは洗練されていて、原稿なんぞに頼る事無く、聴衆を見ながら呼びかけるように熱く語りかけるのが彼のKeynoteだ。

 未だに日本人は手元の原稿を読みながら話している人が多いが、やめて欲しいと私は思っている。

 さてそんなスティーブが原稿を読み上げた珍しいスピーチが先日紹介した2005年にスタンフォード大学で行われたスピーチだ。


 このスピーチはスライドを用いている訳でもなく視覚に訴えてくるものは何も無い。しかし、このスピーチはスタンフォードの学生を十分に引きつけているし、私もあり得ないほど集中してこのスピーチを聴いてしまった事を思い出す。それはその内容があまりにも素晴らしいからだ。以下にその一部を抜粋する。


 Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.


 この文面が出てくるまで彼はその生い立ちや仕事の事などを語りそして突然、死に関して語り始めた。そして約1年前にがんと診断された事を告白している。

 私が、これまで出会ったなかで素晴らしい仕事をしている人は大抵、自分がいつかは必ず死ぬという事を意識して今を生きていた。死ぬ事を常に考えて生きている人が多かった。

 いくら今、医療が高度化してこれまでは治せなかった病人が治るようになっても、それでも治らない病気は未だ沢山あり、そしてヒトは不死では絶対にない。

 Human being is never immortal. The life-span of a human being is very short.

 今の日本人は、そんな事も忘れてしまったのだろうか? って思う事が未だに時々ある。

 50歳以下の若い世代の人にそれが多い。

 逆に戦前、敗戦直後を生き抜いて来た人たちは生きている事に対して喜びを感じている人が多いし、時として異常なまでに生に執着している人もいる。

 人は必ず死ぬんだよ、みんな・・・。

 私だってそうだ、君だってそうだよ。

 まさか・・・、そんな事も知らないのか・・・・・。


 私は人間の不死化を目指して研究していたようなものだ・・・・・。

 しかし、今現在、それはあり得ない。

 でも、それに強い情熱を持って研究を行っていた。

 それで良いんだと思う。

 その情熱が未来の医療を創って行くんだと信じている。

 さめた人たちは、”虚業”と笑うかもしれないが。


 一方、今は外科医として生きている。

 そこには虚業の姿形も無い。

 それはそれで当然なんだけれど、どこか夢が無いような気もしてくるのは私だけだろうか・・・。


 さて、死に関してスティーブが語ってくれた事をもとに、ぜひ皆さんも真剣に討論していただきたい。

 私は、小さな頃から、”なぜ人は生きているのか? 何が目的なのだろう?” と考え続けていた。

 金? 名誉? 地位? 子孫繁栄? 親孝行? 偽善? 社会貢献? 我欲? 性欲? 物欲?

 あなたはどう考えるだろう?

 私は中学生の時に、一つの結論に達し、その結論は未だに変わる事が無い。

 それは。


 ”人は死ぬ為に生きている”


 である。

 この一文を皆さんはどう解釈してくれるのだろう? 今は詳しい説明はしないでおこうと思う。

 この結論を得た中学生時代以来、人の死を意識する事無く、自分の死を意識する事無く暮らした日が無い。

 外科医になり、結婚してもその日々は続く。

 結婚した後は、自分の死のみならず、妻の死、子供達の死さえも意識して生きている。

 縁起でもない???

 そうかもしれないな。

 でも、今を生きるってのはそう言う事なんだよ。


 さて、最後に先ほどのスティーブのスピーチの和訳を掲載しておきます。



 自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは、私が知る限り、人生の重要な決断を助けてくれる最も重要なツールだ。なぜなら、ほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、すべてのプライド、恥や失敗に対する恐れといったものは、死を前にすると消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは、何かを失うと考えてしまう落とし穴を避けるための、私が知る最善の方法だ。あなたはすでに丸裸なのだ。自分の心に従って行動しない理由はない。



 ありがとう。

 スティーブ。