鎮魂、そして愚民

 3月11日、晴れ

 気持ちよいほどに晴れ渡る空。

 一年前の今日、あの東日本大震災が発生した。

 約2万人の死者、行方不明者を出した大災害。

 そして、原発事故によって国土を失った。

 原発事故、取り返しのつかない大事故。


 失われた尊い御霊の安らかならん事を祈る。

 そして、生きている我らが力強く、逞しく生きていく事をここに誓う。


 仕事柄、多くの人々の死に様を診て来た。

 これまで見送った命の数はもう数えきれないほどになる。

 何枚、死亡診断書を書いたかもう思い出せない。


 人は必ず死ぬ。


 いつか必ず死ぬ。


 それが、今か、それとも近い将来か、数十年後かは分からぬ存在ではあるが、いつかは必ずその時が訪れる。

 その事をその身をもって、または家族、友人の死によって被災地の人々は学んだだろう。

 彼らがこれからの人生を大切に、生きている事の大切さを常に忘れずに暮らしていく事を期待している。

 そう、彼らは強いだろう。


 追悼番組が流れている。

 そこに感じる否定しがたい違和感。

 被災者とレポーター達の表情のずれ。


 思う。

 結局のところ、痛みを実際に感じていない人間には、その痛みは絶対に理解出来ない。

 これが、今の日本人である。


 痛みを伴わなければ、ヒトは堕落する。

 こんな私だってそうだ。

 これまで大災害に被災した事は一度も無い・・・。


 先日、神戸のとある私立病院の病院長と夕食をご一緒させていただく機会があった。

 彼は阪神淡路大震災の被災者だった。

 壮絶な体験をしておられた。


 あれは1995年1月17日午前5時46分。

 この地を巨大地震が襲った。

 地震の揺れを自宅で感じた彼は、車を走らせ自分の病院へと向かった。

 波打ち、割れた道路を走り到着した病院。

 壁は崩れ、窓ガラスはすべて割れ、かろうじて倒壊を免れた状態だった。

 病棟看護師が泣きながら彼のもとに駆け寄ってくる。

 しかし、一緒に悲しみに暮れている事は出来なかった。

 外来に押し寄せる患者。

 担ぎ込まれる死体・・・。

 彼は外来での診療、病棟での診療を並列で行う。

 ”外来を診て、病棟を診て、屋上にあがる。これを何日も寝ずにずーっと繰り返していました。”

 ・・・・・???

 屋上???

 ”先生、なぜ屋上なんですか???”

 ”そう、屋上です。屋上にあがると周辺で燃え上がる火の手が見えます。その炎を確認し、風向きを確認し、ここまでその炎が来るかどうかを常に考えていました。もしもそうなったなら患者とスタッフ全員を連れて避難しなければいけませんから。”


 私は先輩や同級生、後輩の話を聞くのが好きだ。

 彼らの考えや体験談を聞く事で、多くの事を学ぶ事が出来る。

 こうした話を聞いて”他人事”としてしか感じられぬ人が今の日本人には多いように感じる。

 私もそうかもしれないが、そうではないように勤めている。

 そう、彼らの被災経験をもとに科学的思考を行って、未来に備える為の考察を常にするようにしている。




 大震災にて亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 そして生き残った我々が、現状をまっすぐ見つめ、この命のあらん限り今を生きていく事を誓います。


 そう、今、生きている。

 妻や娘達が笑顔でいてくれるだけで嬉しいじゃないか。

 それだけで素晴らしいじゃないか。

 彼女達の笑顔を守る為に私はこの命を燃やしている。


 医者になった頃から常に感じている。

 生きている事、その事自体が幸せに感じている。たとえ奴隷のように働いていても・・・。



 さて、こんな日本だが、やはり愚民がいる。

 当直をするたびにそう確信する。

 なんでこんな怪我や症状で救急車を使うんだよ・・・。

 ちょっとした怪我で救急車を呼んだその愚民の一人・・・。

 絆創膏を貼って治療は終了・・・。

 まったく悪びれもせず、救急車を使った事が当然であると思い込んでいるその患者・・・。


 救急外来を受診した患者、その9割が軽症患者である。

 そう、なにも救急外来なんぞ受診しなくても、病院なんぞ受診しなくても良い患者が9割もいる。


 タクシーよりも便利で安心、そして無料。それが日本の救急車。

 コンビニ気分で気軽に受診。それが日本の救急外来。


 結局のところ、こんな大震災を経験したこの街でもそんな”やから”がうようよしている。

 もうだめだよ。日本人。

 ぬるま湯につかり、堕落しきっている。

 堕落している事にさえ気がついていないんだよ。


 痛みを伴わなければ、ヒトは堕落する。

 そんな愚民を育んでいるのが今の衆愚政治である。