若き外科医達の奮迅と恐怖
7月15日、曇り
湿度は60%を軽く超え、外気温は30℃。
にっぽんの梅雨。
家にいても、庭でガーデニングをしていても、じっとりと汗をかき、自分が今、生きていることを感じる日々。
さて、幸か不幸か、私は若い頃から沢山の手術をまかされて来た。
外科医1年目の時は、超ベテラン外科医に、徹底的にしごかれ、ぼろくそに言われ、人格を否定され、その技能をぼろくそに言われ、そしてその名医に食らいつき、病棟で大げんかし、それでも技術を盗み、教えを請い、くらいついていって腕を磨いた。
2年目になり、癌の手術をまかされるようになった。
そして、その名医にこう言われた。
”ええか、アルマダ君。調子に乗ったらおえん。こうして君は手術が出来るようになってきとる。しかし、手術が出来るようになったなーと思った時が一番危ない。絶対に初心を忘れたらおえんぞ(いけないぞ)。手術の一つ一つの動作を大切に慎重にせんとおえん。すべての動作に意識を持ち、そして慎重にな。”
この名医がまえ立ち(第一助手)をしてくれると、通常は3時間かかる手術が1.5時間で出来てしまうから凄い。
それほど、彼はすごい外科医だった。
そして、医者(外科医)になって3年目の時には既に外科医2年目の後輩を助手にして沢山の高難易度手術をして来た。
死にかけている患者の手術も沢山して、そのほとんどを救命した。
統計学的に分析したら、私の手術成績は、一般的な外科医の成績を軽く凌駕している。
一般的な救命率は50%を下回ってしまうようなとある重篤な病気があるが、私のこれまでの救命率は90%を超える。
そして、今。
おっさんになり、いろんな奴らと手術をしている。
それは時として、先輩であり、後輩であり。
しかし、まあ、困ってしまうのはやはり年寄り。
自分が正しいと思って疑わぬオヤジが多い・・・。
自分はこうはならぬように気をつけようと思う日々。
さて、最近も若き外科医と手術をすることが多い。
かなりヤバい状態の患者の手術を彼らにまかせ、まえ立ちをすることがある。
いつも通り、若き外科医に術前にこう聞く。
”この緊急手術をどのように行うか? まず画像所見を説明してくれ。それから手術のPlanを3つ言ってくれ”
そして、Plan A, B, Cを説明させる。
”OK! さて、やるか!”
でも、手術中に予期せぬような状況で彼らは困ることがある。
そう、手が止まってしまう。
そんなとき、私はこう言う。
”よし、Plan Aはやめよう。Plan Bでいくか?”
”心配するなよ。俺にはもっと引出しがあるから、どんな状況でも対応してみせるから。もっと、どうどうとやれば良いよ。それで良いんだ。(手術を)続けてくれよ。”
そう、絶対に後輩をなじるような、罵倒するような発言はしない。
絶対にだ。
”あほ!!! それじゃあかんやろ!!! こっちをこうせえや!!! なにしてんねん!!! ちゃうやろ!!!”
なんてことは言わない。
そこにはお互いの尊厳も無く、尊重の念も無く、そしてその指導法は”科学的ではない!!!”
下衆で野蛮でしかない。
さて、そんな話はやめておこうか。
俺たち外科医は時として恐怖と闘い、平常心を保ち、科学的思考に基づき迅速に手術をせねばならぬ時がある。
そんなとき、心を水のように。
Be water, my friend.
なあ、舞い上がるなよ・・・。
みっともないと言うか、情けないぜ。
修羅場をくぐり抜けて来たんじゃなくて、言葉巧みに逃げて来ただけなんだろうな、あんたの人生。
俺たちは違うぜ。
命を燃やし、ガチで闘い、そして生き残って来たんだ。
そして、命を救い続けている。
なあ、あんた。
それでも日本男児か???
もっとな、やるべきことがあるだろ・・・・・。