原爆と原発

 8月6日、快晴

 今日も暑い。

 今、帰宅して、TVニュースを見ている。

 1945年8月6日、広島に原爆が投下され十数万人の市民が殺された。


 この原爆と福島県原発事故を関連づけた市民の活動、政治家の発言が報道されていた。

 確かに放射能汚染と言う点では一致しているが、原爆と原発を同じようなものとして報道しているような印象を受け、否定しがたい違和感を覚えたのは私だけだろうか・・・。


 原爆は科学の英知を集めて造られた大量殺戮兵器。そう、命を奪う為のもの。

 原発は科学の力でその爆発的な潜在的な危険を制御して造られた”命”を守るためのもの・・・。

 それらを同じような扱いで報道していいのだろうか・・・。

 うーん、この”感情”をどう論理的に説明したら良い・・・。


 アメリカ軍が日本の一般市民を殺戮する為に投下した原爆 = 福島原発事故 なのか?

 放射能汚染した立場の人、放射能汚染した町に住む人にとっては、原爆も原発も同じなのか・・・。

 いや、同じとは思っていないだろうが・・・。

 でも、同じなのか???






 ・・・・・・・・・・、西岡がメジャー復帰??? なんで??? あの成績で???

 こっちも謎だ・・・。




 この世は謎ばかり。

 ただ一つ”絶対だ”と言えること。

 我々、ヒトは必ず死ぬ。

 絶対に死ぬ。

 このブログ記事を読んでくれている貴方も、絶対にいつか死ぬ。

 今の日本国民の大半はそのことを忘れてるんじゃなかろうか?

 今、ニュースを見ていて再びそう感じた。


 原爆で何が起こったか知る由もなく一瞬で十数万人の人が殺されたというのに・・・。

 それをなぜ今夜のニュースで報道しない。

 原爆と原発は似て異なる。

 そうじゃないのか。





 おいしいものが食べたい。

 良い服が着たい。

 良い車に乗りたい。

 良い暮らしがしたい。

 放射能なんか気にせず生活したい。


 どの思いも理解出来る。

 ただ、これだけは言いたい。

 今生きていること自体に喜びを感じられぬ人生、感謝できぬ人生は不幸そのものでしかない。

 思う。

 これも平和の毒。あほほど手厚い腐りきった日本の社会保障制度の生んだ堕落に他ならぬ。