広島、長崎の慰霊の日を反原発運動に利用するな

 8月7日、晴れ

 今日も晴れ。

 日本の夏ってこんなに暑かったか・・・。


 さて、先日ブログ記事にした、”原爆と原発

 先ほど、産經新聞の夕刊を読んでいたら、あれ?

 私の書いた記事が載っている・・・、って思うような記事があった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「原爆」と「原発」を同一視すべきではない。

 広島、長崎の慰霊の日を反原発運動に利用するな。

 言いたいことはこれだけだ。あとは付け足しである。

 被爆50年など節目の取材を重ねて、5度目の「8月6日」になる。いつもまだ薄暗い午前5時すぎに、広島市の中心部にある平和記念公園へ向かう。園内に幾つもある慰霊碑や供養塔に、もう手を合わせる人がいる。ここで夜明かしする人もいる。年々、車椅子のお年寄りが多くなっている。

 やがて昭和20年のあの日もそうだったという青空が広がり、蝉(せみ)の鳴き声が大きくなる。8月6日には不思議と雨の記憶がない。

 今年は蝉しぐれをかき消すように原爆ドーム前での集会のスピーカーの音声が響いた。「野田は帰れ!」「再稼働やめろ!」…。

 平和記念式典に参列した野田佳彦首相の耳にも届いたであろう。毎週金曜夜に首相官邸前から聞こえる「大きな音」だ。集会のそばにいたのでわからないが、耳慣れておそらく表情ひとつ変えなかったのではないか。

 この国では言論、集会の自由が保障されているから、あれこれ言わないが、原爆投下時刻の黙祷(もくとう)の最中にまで叫び続けるのは、犠牲者に対して無礼だとだけ言っておく。

余計な置き土産だ

 広島に原発を持ち込んだのは菅直人前首相である。記者会見で唐突に「脱原発依存」を宣言し、昨年の平和記念式典のあいさつでは「原発に依存しない社会をめざす」と語った。参列した歴代首相が原発に触れたのは初めてだった。

 政権浮揚を狙ったのだろうが、1カ月後に退陣を余儀なくされる。「原発には詳しいんだ」と自慢していた菅氏はその後、福島第1原発事故の各調査委員会で、表現の差こそあれ事態を混乱、悪化させた張本人と名指しされている。

 それにしても、余計な置き土産をしてくれたものだ。今やヒロシマナガサキとフクシマは片仮名で並記され、反(脱)原発運動のシンボルになっている。この流れは加速しつつある。

 だから、当たり前のことだが、あえて強調せずにはいられない。核兵器と平和利用の原発はまったく異なると。

 

原爆と原発は違う

 連鎖的な核分裂反応の発見は当初、新しい重要なエネルギー源になるかもしれないという期待を持って迎えられた。しかし、科学者たちは、人類が手にしたことのない強力な爆弾になることに気づく。時はナチス・ドイツが台頭してきた時期で、ナチスに先を越されては、と危機感を抱いたアインシュタインは、ルーズベルト米大統領マンハッタン計画のきっかけになる手紙を送る。

 米国は「戦争の早期終結のため」「本土決戦による日本人の犠牲を防いだ」と言い繕うが、広島、長崎への原爆投下は新型兵器の実験的意味しかなく、許されざる行為である。アインシュタインは晩年、ルーズベルトへの書簡を悔いたという。

 だが、いずれ、どこかの国が核兵器を開発したに違いない。超大国の核開発競争が世界を破滅の縁に立たせた冷戦の時代を経て、今も北朝鮮やイランが核保有国となるべく躍起になっている。広島、長崎の惨禍が教訓にならなかったのは悲しい。

 一方で、核分裂のエネルギーを制御しながら利用する原子力発電が開発されたのは、ある意味、健全な科学の進歩といえる。

 原発が危険を内在していることは否定しない。事故が起きれば甚大にして長期的な被害、影響をもたらすことは、福島を見ればわかる。

 

核兵器廃絶こそ願い

 それでも原発を放棄すべきではないと考える。安定的なエネルギー源として今、原発に代わるものはない。

 だから野田首相に求めるのは、「再稼働やめろ」や「原発いらない」ではなく、「安全な原発を作れ」である。現状でリスクは大きくとも、人間の英知でいずれ克服できると信じる。

 が、こうした声は、反(脱)原発集会やデモの叫びに、少数派に追いやられている。将来のエネルギー構成に関する意見聴取会も「原発0%」が多数を占めている。

 電力会社の社員という理由で、原発を支持する意見は排除された。そして、恣意(しい)的にヒロシマナガサキ・フクシマが利用される。

 広島市松井一実市長は平和宣言に3人の被爆体験を盛り込んで「私たちは、そのつらさ、悲しさ、苦しみとともに、その切なる願いを世界に伝えたいのです」と述べた。被爆の地が訴えるのは核兵器廃絶に尽きる。

 しかし、67年がたって被爆体験を伝える人は少なくなった。遺族も高齢化している。「慰霊の日」の変質を危惧する。

 だからこそもう一度、声を大にする。原爆と原発を一緒にするな。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 そう、そうです。私の言いたいことはそういうことなんです。