激務の果てには何が待つ。

 9月12日、晴れだったのか雨だったのか知りません。


 なんだか今週は緊急手術が多い。近隣の病院からの急患の紹介も異常なほどに多い。

 日中は予定手術で手術室はフル稼働しているので、ある程度待機出来る緊急手術は夕方からの手術となる。

 もっとも、1分1秒を争うような緊急手術の場合は予定手術を押しのけて間に入れて対応するわけだ。

 そして、病態が落ち着かない、いつ急変(心停止、呼吸停止)するやも知れぬ患者を受け持つ事となった。

 おかげで昨日は当直でもなんでもないのに、仮眠室に泊まる事となった。


 正直に言おう。

 このような状況の時に、最も心安らぎ落ち着く場所は病院の仮眠室である。

 こんな事を書くと、妻に怒られそうであるが、そうなのだ。

 緊急入院した患者の状態が不安定な時に、家に帰っても、酒を飲むわけにもいかず、いつ電話がかかって来て緊急招集されるやも知れぬので安眠出来ぬのだ。

 一方、病院の仮眠室だと、聞こえるのは泊まっている他の先生のPHSの音や話し声、足音。そして、頻繁にくる救急車の音。家よりもうるさいのだが、それでも熟睡出来るのだ。

 なぜならば電話が鳴ったらすぐにICUなり、一般病棟に数分以内に歩いていけるからだ。

 数分以内に即応出来る状態にある事が、安らぎの理由ってのが、何とも情けないような、誇らしいような・・・。



 患者に最良の医療を提供出来る状態に自分の身を置かなければ落ち着かないのだ。

 それで良いとは思えないが、今の日本の腐りきった医療制度で最良を医療を提供し続けるには、医者は家族を顧みず、プライベートを犠牲にしまくるしかないのが実情である。


 一般企業にお勤めの方や、実業家の方は、資本主義の厳しい世界で自分を磨き、一喜一憂しておられるのだろうが、我々、日本の外科医は社会主義社会保障制度で運営される病院で働き、いくら腕を磨き業績を上げても一切給料には反映されず、暮らしは楽にならないのである。


 そう、日本の外科医達は、これだけの過労死の認定基準を遥かに超えた時間外労働をするから年収が1000万円を超えるのであって、その実態は時給3000円で激務をこなす超専門職のお人好しの馬鹿集団である。



 しかし、こんな生活をしていると、なんだかこころが安らぐ時がある。


 予定の仕事をこなし、病棟に入院患者の病態を確認する為に階段をのぼっていく。

 そして、病棟に着く。

 時刻は午後9時直前。

 私が執刀した患者さんや後輩外科医の執刀した患者さん達の病室を尋ねていく。


 Armada ”Hさん、今日はいかがでしたか? お食事は食べられました?”

 Hさん ”特に変わりありませんでしたわ。食事は半分ぐらいですね。食欲がちょっとなくて。”

 Armada ”そうですか、お腹を見せていただけますか? (視診、触診、聴診上異常は認められない) 吐き気はありますか? お通じは出てますか? 他には変わった事や、お困りの事はありませんでしたか?”

 Hさん ”吐き気もないし、通じも出てますよ。それ以外に、なーんにも問題ありません。おかげさまで。それにしてもArmada先生、こんな時間まで仕事ですか。昨日もですよね。”

 Armada "ええ、やっと予定の仕事が終わりました。でも、これから緊急手術なんですよ。"

 Hさん ”え??? これから手術ですか!!! お疲れさまです。ほんま、先生方って凄いですね。頭が下がりますわ。私は大丈夫ですから、少しでも休んでくださいよ。”

 Armada ”ありがとうございます。大丈夫ですよ。日頃から体を鍛えていますから。それに、これが我々の仕事ですからね。そう、何かお困り事があったらなんでもおっしゃってくださいよ。それでは、おやすみなさい。”

 Hさん ”分かりました。有り難うございます。おやすみなさい。あ・・・、でも、Armada先生はこれから手術なんですよね・・・。お疲れさまです!!!”