選挙と愚民と衆愚政治

 12月16日、晴れ

 日曜日。

 いつも通りに朝起きて、出勤。

 入院患者の診察をして回り、各種指示を出して昼前に帰宅。

 家族揃って投票所に向かう。

 子供達には留守番をさせようかと思ったのだが、妻が ”社会勉強の為にも連れて行きましょう” と言う。

 よって、5人揃って激坂を下って約1.5km歩いて投票所についた。

 妻とは普段から政治の話を良くする。

 新聞もお互いよく読んでいる。

 なので、自らこの人と思う候補者に投票した。


 そして、先ほど、テレビにて開票速報。

 投票した候補者が勝っていた。


 その次に、民主党の仙谷氏が地元で選挙活動をしている場面が放送されていた。

 道ばたで、地元民の70歳は超えているであろう”じいさん”と話をしている。

 じいさん ”前回はあんたに入れたけど、今回は入れんよ。消費税あがるからな。社会保障もいっこもようなっとらん”

 仙谷氏 ”このままでは社会保障はもちませんよ”


 ああそうだ、これだよ。と、妙に納得した。

 このじいさんは結局、目先の生活にしか興味がない。すなわち、我欲で物事を判断している。

 このじいさんの世代を支える為に労働者層が、所得税などの多額の税金を納め、さらには保険料もこのじいさんが納めている額よりも遥かに多い額を納め、さらに年金を納付している。

 若年者、労働者が納めた金の大半はこのじいさん世代の高齢者の社会保障制度(医療、年金)の財源となっている。そう、このじいさんを生かしているのは若年者、労働者である。

 その事実を理解しようともせず、”消費税が増えるから” ”社会保障制度が今よりも良くならないから” って理由で民主党を否定する。

 アホだろ。

 しかし、愚民の一人のこのじいさんを諭そうとする仙谷氏であるが、その声はあまりにも弱かった・・・。


 超少子高齢化社会のこの日本において、”増えていく高齢者にさらに充実した社会保障を提供する” ってのは、まさに衆愚政治

 少子化で財源もない、その一方で給付が必要な高齢者が増えていく現状では ”高齢者に対する社会保障を縮小する” ってのが当然だ。

 しかし、そんなことを主張している政党はごく一握り。

 そう、石原慎太郎氏ぐらいだろう。

 なぜならば、この衆愚政治。高齢者票をものにしなければならないからだ。

 そして、若者達は、あまり政治に興味を持たず、投票に行かないからな。


 首相がころころころころ代わる、今の日本の政治。

 衆愚政治の成れの果てだってことを今日、再認識した。

 結局、我欲でしか物事を判断できぬ愚民が喜ぶような政策を実施しようとしても結局は無理で、マニフェストが守れませんでした、ごめんなさいってやめるしかない。

 これの繰り返し。

 愚民受けの為に、出来もしないことをマニフェストにして当選し、そして”出来ませんでした”とやめるしかない。



 今回の選挙、自民党の大勝になりそうだ。

 なあ、安倍さんよ。

 自民党がやってきた政治のつけを民主党がなんとかしようとしたってことを忘れないでくれよな。

 そして、衆愚政治に死亡宣告を突きつけてくれよ。

 国はすなわち、その領土であり、その国民である。

 国民は領土、国を守る為に、自らを犠牲にする義務があるってことを、愚民にも教えてやってくれよ。