無知なる罪、知る恐怖
6月2日、晴れ
いつの間にか6月。
平日はジテ通。
休日は脚を休める為に、車か電車で通勤している。
休日も休まず通勤ってのが、??? だよな・・・。
まあ、こんなもんだよ日本の医者ってのは。
日本の医者 = social slave とでも翻訳するか???
さて、ジテ通していると同僚、特に上司などから事故に気をつけるように助言をいただくことが多々ある。
車通勤や電車通勤と比較して、そのリスクははるかに高いだろう。ジテ通は。
車道を35-40km/hで走るわけで、落車などの単独事故でもでもそれなりに怪我をするし、車にはねられたら、轢過されたら死ぬかもしれぬ。
そう、知ってるさ。
だから、最高輝度の前照灯と尾灯をそなえ、常に手信号を怠らず、信号は必ず守り、そのリスクを最大限に減らし、そして肉体と精神を鍛えるというメリットを大切にジテ通を続けている。
外科医になってから十数年。
沢山みて来た。
単車で転倒して脊椎損傷、即死。
車にはねられて腹壁破裂、大量出血、死亡。
車に轢過されて、胸壁損傷、呼吸不全、死亡。
もう何人見送ったか数えていないが。
車と歩行者、車と単車、車と自転車の事故の悲惨さ。
車は良いさ。
ドライバーは何ともない。そう、無傷。
しかし、歩行者や、単車の運転手、自転車に乗っていた生身の人間が車という重量物、剛体によって受けたその肉体の損傷の悲惨さ。
これまで、沢山みて来た。
目を背けたくなるような状況。
なぜここまでめちゃくちゃに破壊されるのか・・・。
一命を取り留めたとしても、その先はどうなるのか・・・。
そう、知っている。
恐怖とともにその現実、事実を何度もみて来た。
神戸で車を運転するドライバーのマナーはその大半が非常に良い。
ロードバイクで車道脇を走っていても、無理な追い越しをされることは滅多に無い。
しかし、”なにわ”ナンバーや”京都”ナンバーの車のドライバーはその大半がめちゃくちゃな運転をする。
なぜなんだろう。
その理由と思われる仮説を提示しよう。
もともと神戸の人々は品が良い。譲り合いの精神が息づいている。
それと、先の阪神淡路大震災。
建物の倒壊等によって、めちゃくちゃに損壊したヒト(手足が千切れ、首がなく、腹壁が損傷し腸が体外に飛び出し・・・)を複数実際に見た経験のある人が多いのではないだろうか。
いかにこのヒトという有機体が脆く、儚いことを実際にその目で見て知っている人が多いのではないだろうか。
自分の運転している車が、歩行者や自転車、単車の運転手をはねた場合、轢過した場合にその被害者の肉体がどうなるかを知っているのではないだろうか。
知る恐怖、知らぬ罪。
そのことを知りもせぬアホが無謀な運転をして人をヒトを死に追いやる。
そうなって初めて、自分の犯した罪を知る。
それでは遅すぎることも、そうなる直前まで予測もせず知りもせず。
そんな輩には、死刑を含め、厳罰によって対応してもらいたい。
そう思ったんだ。
このめちゃくちゃになってしまった患者をみながら。
それと同時に。
歩行者や自転車などのいわゆる交通弱者の責任についても言わなければならない。
信号を平気で無視して交差点を渡る歩行者や自転車。
信号の無い所を平気で渡る歩行者。
細い路地から幹線道路に大きく飛び出す、自転車に乗った愚かな子供。
その行為がどれだけ罪深いか。
誰が教育すれば良いのだろう。
親か? 社会か?
取り返しのつかないことが起きる前に、ぜひ考えてみて欲しい。
この命は一度きり。
この肉体は車のパーツのように交換することは出来ない。
その現実を理解せよ!!!