靖国神社

 12月26日、雨

 起床。雨は降っていなかった。

 何も気にせず、冬用のアンダーアーマーを着て出勤準備をしていたら、妻が ”今日は雨になるよ・・・”

 夜からプライベートな予定が入っていたので”ずぶぬれジテ通”はまずいと思って普段着に着替えて電車で出勤した。


 一通り仕事を済ませて、職場で夕刊を読む。

 安倍首相が靖国神社参拝した事を伝える記事が各社の一面にあった。

 ついに参拝してくれたのか!!! と好意的に受け止めつつ各社の夕刊を片っ端から読んだ。


 産經新聞は期待通り ”「日本を取り戻す」決断” とある。

 日経新聞は安倍首相の靖国神社参拝が日本の経済に及ぼす影響を悲観的にとらえる内容。

 朝日はクソ。この新聞社の報道内容を大東亜戦争の前、中、敗戦後、現在と様々な形で読んで来たが、こんな糞新聞社は日本に必要ないと断言したくなる。


 大東亜戦争において多数の戦死者が出た。

 特に日本軍においては無謀な作戦で犬死にとしか言えぬような死に方をした方が多数でた。

 これは大東亜戦争に限らず、日露戦争の頃から日本軍、特に日本陸軍において著明な傾向である。

 戦争の勝敗はその精神にあると、精神論を首座に構え、銃弾・砲弾・食料・人員の補給を軽視した作戦が当然のように行われたことは確か。

 気合いでどうにかせい!!! と。屍の山を乗り越えて突撃し、勝利を得ろ!!! と。(なんだか昨今の日本の医療現場みたいだが・・・)

 これを ”私の父は国のむちゃくちゃな作戦で殺された” ととらえる子(今となっては高齢者)がいても当然だろう。

 しかし、当時の日本の情勢、アジアの情勢を正確に理解する事が出来れば、いかにその犠牲が国家の存亡の為に必要であったかを理解できると思うのだが。いやしかし、日教組の自虐的歴史教育。朝日のような戦時中とは手のひらをかいしたような反日反戦思想のみにさらされていると、国家に対する批判的精神、恨みを超えた狂気しか得る事は出来ないだろう。

 当時の欧米列強の狂気。しかもその狂気は理性で隠され、まことしやかに執り行われた狂気であったわけで、それに食い殺されつつあったアジアの状況をぜひ知って欲しい。勉強し直して欲しいと思う。

 反戦思想、大いに結構。

 戦争なんて嫌だね!!!、と大きな声を私だってあげたい。

 ただ、先の大戦で国の為、親の為、妻の為、子の為、家族の為に散っていった英霊の方々を ”国に殺された被害者” なんて受け止め方をする子孫や国民ってどうなんだ!!!

 子として、夫として、父親として精一杯考え、そして命をかけ戦った武士の魂を軽んずるような思想をしてはならんと強く思う。


 安倍さん、あんたはえらい。