令和元年最初の投稿 外科医辞めました

 令和元年8月4日、快晴

 久しぶりのブログ投稿です。

 平成31年3月末に外科医を引退しました。まあ、外科医を引退したと言うと不正確なので、正確にいうと手術をする外科医を引退しました。

 実のところ外科医をやめるって宣言すると、周囲から猛烈な反対を受けました。

 ”先生が手術をやめるって、OO病院はどうするの!”
 ”手術をやめるなんてもったいない!”
 ”私がまた癌になったら先生に手術をしてもらおうと思っていたのに!”
 ”家族が癌になったら先生に手術をしてもらおうと思っていたのに誰に頼めばいいのですか!”
 ”また、手術がしたくなるんじゃない”

 様々なご意見、ご感想をいただきました。

 でも、辞めました。

 俺が辞めたってあの巨大な超ブランド病院が受ける影響なんて微々たるものです。そんなこと研修医の頃から自覚してました。

 でも、あの街の私が専門とするがん医療界が受けた影響は軽微ではなかったと辞めてから痛感しています。私のシェアはあの地方中核都市(人口54万人)で33%でした。この街の私が専門とするがん患者さんの三人に一人は私の患者さんだったのだから。

 今、40歳代前半で最も熟練した外科医の領域にいる自分ですが、辞めました。

 その理由は、手術よりも重要で大切なことがある事実を知ってしまったからです。

 その詳細はここには記載しませんが、腫瘍外科医の皆さんにお尋ねします。

 あなたが専門としている癌、一体何を目的に治療を行なっていますか?

 その専門としている癌の”がん死をゼロ”にしようと思っていますか?

 抗がん剤を使い来なしていることを自慢していませんか?

 抗がん剤を使いこなして”がん死がゼロ”になりますか?

 腹腔鏡手術の腕を自慢してませんか?

 それって、がん死をゼロにすることができますか?

 それって、ただの自己満足じゃないですか?

 がん死ゼロを目指して医者をしていますか?

 そうでなければ何を目指して腫瘍外科医をしているのですか?

 なんだか、かっこいいことを言っている割には、結局のところ、その癌で死ぬ人が減ってないじゃないですか。

 外科医として世界をより良いものに変えることが出来ていますか?

 私は外科手術を否定する気は全くありません。今も、これからも癌に対する手術はその治療において重要なポジションであり続けます。外科医として確実で美しく低侵襲な手術を開発し実行し続ける。それがこれまで外科医として情熱を注ぎ続けた手術です。

 ただ、手術に関しての追求を続けるだけでは腫瘍外科医としては失格だと思っています。

 腫瘍外科医の皆さんには、専門とする癌による死亡をゼロに近づけるにはどうすれば良いのかを常に考えて欲しいと思います。

 私も自分が専門とする癌に対する治療は誰よりも自信を持って治療に当たっていました。

 しかし、自分のところに進行した状態で来た患者さんに、最善の治療を行っても、再発し亡くなっていく方はあとを絶ちませんでした。

 抗がん剤だって、世界最先端の使用法を患者さんに提供していました。

 私が専門とする癌の分野の外科医として西日本最強を自負してもたくさんのお釣りがくるほど優れていたと手術を辞めていろんな世界を知って初めて気づき自分自身、驚いています。

 手術をしない生活が始まり、手術がしたくてたまらないって思うかと思っていましたが、全然そんなことは感じていません。

 普通の外科医の2~3倍の手術件数を最高レベルでこなし続け、実年齢40歳代前半ながら経験値から計算すればすでに60歳代後半の外科医と同等の状況となっています。

 老眼で術野がぼやけるとか、老化で手元が定まらないとか、諸先輩外科医を見てそんな状況になる前に引退しようと前々から思っていたので、あえてこの外科医としての全盛期に引退しました。

 すでに手術に関しては”やりきった感”があったため、手術をしない日々に全く違和感や後悔を感じることはありません。

 医者としてすべきこと、できること、したいこと。

 それを実行し続ける。

 それが私の人生です。

 新しい世界へと。

 そして、その世界に革新をもたらす。

 そして、街をより良いものに変え、世界を変える。

 信念、情熱、忍耐。

 これからもこの限られた命を燃やし続け、前に進み続けます。